◯『筆禍史』「絵本拾遺信長記」〔文化元年・1804〕p99(宮武外骨著・明治四十四年刊)
〝『大阪書籍商旧記類纂』に本屋行事より奉行所に出せし上書あり
絵本拾遺信長記、寛政十二年申年初編より後編まで追々新板の儀願上、同十三年酉年御聞届の上追々
板行摺立売買罷在候処、此度於江戸表右本売捌御差留、右絵本御取上に相成候に付、元板も絶板被仰
付摺立有し板本七十九冊并板木百五十枚御取上、以来板行仕間敷候、且是迄売捌候板本の内、此後売
先相分り候はゞ、取集め可差出旨被仰渡奉畏候
一旦許可せしものを、其出版後に至りて直ちに絶版を命ずるとは、御無理不尤の至極にして書肆の損害
も亦少なからざりしなるべし〟
〈文化元年五月十七日、江戸町奉行から出た触書に〝一枚絵草双紙類、天正之頃以来之武者等、名前を顕し画候義ハ勿
論、紋所合印名前等紛敷認候義も決而致間識候〟とある。宮武外骨は『絵本拾遺信長記』の売買差し止め及び絶板処
分はその余波とする。確かに大阪では『絵本拾遺信長記』に限らず『絵本太閤記』もそれまで出版を許可され流通し
ていたのである。大阪の出版業者からすれば極めて理不尽な処分には違いない。『絵本太閤記』については、本HP
「浮世絵事典」の「太閤記」を参照のこと〉