Top浮世絵文献資料館浮世絵師総覧
 
☆ 鹿の巻筆(しかのまきふで)浮世絵事典
 ☆ 元禄七年(1694)       筆禍『鹿の巻筆』       処分内容 板木焼却             ◎著者 鹿野武左衛門 流罪(大島六年)            ◎画工 古山師重(記載なし)◎板元 追放       処分理由「妖言の種となるべき由なし事を版行し、それがため人心を狂惑せしめし科」           (「噂事人善悪」の出版は禁制)     ◯「鹿の巻筆」(宮武外骨著『筆禍史』p35)   〝此の書は落語家鹿野武左衛門の著作にして古山師重の挿画あり。貞享三年出版なりしが、其九年後即ち    元禄七年に至り、版木焼棄の上、著者武左衛門は伊豆の大島に流刑となりしなり。其事件の顛末は諸書    旧記に散見するところなれども、関根正直氏の記されたる『落語源流談』及び『徳川政府出版法規抄録』       には、諸記を総括して簡明に記述しあり、乃ち左の如し     元禄六年四月下旬、或所の馬もの語りしには、本年ソロリコロリと呼べる悪疫流行す、之を除けんに     は南天の実と梅干を煎じて呑めよと、且「病除の方書」とて一小冊を発兌せし者あり。奇を好むは人     情の習、一犬虚を吠え万犬が実を伝えて、江戸の人々大に驚怖し、南天の実と梅干を買ふほどに、其     価常よりも二十倍し、唯此事のみかまびすく〈ママ「かまびすしく」の誤記か〉世業も手につかず、これに     依て六月十八日、月番の町奉行能勢出雲守より布告に曰く      一、頃日、馬物言候由申触候、個様の儀申出し不届に候、何者申出候や、一町切に順々話し次者先      々段々書上げべく候、初めて申出候者有之候はゞ、何方の馬物言候や書付致し、早々可申出。殊に      薬の方、組迄申触候由、何れの医書に有之候や、一町切に人別探偵書付可差出候、隠し置候はゞ、      曲事たるべく候間、有体に可申出もの也     斯く厳重に触しかば、各町に於て探索せしに、此事の起りは、俳優見習の齋藤甚五兵衛といふ者、堺     町市村座にて市川団十郎の乗りし馬となりしに、甚五兵衛贔屓の者見物に来りしかば、甚五兵衛馬の     まゝにて応答せりといふ落語を、当時の落語家鹿野武左衛門といへる者作りて、鹿の巻筆と名(づ)     けし書に筆しに基き、神田須田町八百屋総右衛門并に浪人筑紫園右衛門申し合せ付会の説をなし、梅     干呪方の書物等を以て、金銀を欺き取りし事ども露顕せしかば、関係の数人入牢の末、翌元禄七年三     月、筑紫園右衛門は首謀なれば、江戸中引廻しの上斬罪となり、八百屋総右衛門は流罪のところ牢死     せり、落語家武左衛門は右の妖言及び詐欺一件に毫も関係あるにあらねど、畢竟するに、妖言の種と     なるべき、由なし事を版行し、それがため人心を狂惑せしめし科によりて、同年三月二十六日、伊豆     の大島へ流され、板木元弥吉といへるは追放となり、刻板は焼捨となる、武左衛門は大島にて六ヶ年     謫居せしが、元禄十二年四月赦免になりて江戸に帰れり、然れども身体疲労のため同年八月歿す、歳     五十一    予が曩日『鹿の巻筆』全部を翻刻発行せし時、其例言中にも右の顛末を摘記し、且つ最後に左の如き評    言を附せり     詐欺漢が落語本を見て、奸策を案出したりと云ひしとて、其奸策に何等の関係なき滑稽落語の作者及     び版元をも罰するは、古来法典の一原則とせる「遠因は罰せず」と云ふに背反したる愚盲の苛虐と云     ふべきなり     〔頭注〕馬がものいふ物語    『鹿の巻筆』にある馬がものいふ落語といへるは、左の如き事なり       堺町馬の顔見せ     市村芝居へ去る霜月いり出る齋藤甚五兵衛といふ役者、前方は米がしにて刻煙草売なり、とつと軽口     器量もよき男なれば、とかく役者よかるべしと人もいふ我も思ふなれば、竹之丞太夫元へつてを頼み     出けり、明日より顔見せに出るといふて、米がしの若き者共頼み申けるは、初めてなるに、何卒花を     出して下されかしと頼みける、目をかけし人々二三十人言合てせいろう四十、また一間の台に唐辛を     積みて上に三尺程の造り物のたこ載せ、甚五兵衛殿へとはり紙して芝居の前に積みけるぞおびたゞし、     甚五兵衛大きに喜び、さて/\おそらくは伊藤庄太夫とわたくし花が一番なり、とてもの事に見物に     御出と申ければ、大勢見物にまいりける、されども初めての役者なれば、人らしき芸はならず、切狂     言の馬になりて、それも頭は働くなれば、尻の方になり、かの馬出るより此馬が甚五兵衛といふほど     に、芝居一とうに、いよ馬殿/\と暫くは鳴も静まらずほめけり、甚五兵衛すこ/\ともならずおも     ひ、いゝん/\と云ながら舞台中を跳ね廻つた    といふ一笑語なり、これにて流刑六年とは、時代の罪ともいへず、実に気の毒の事なりける〟
   『鹿の巻筆』「馬がものいふ落語」 鹿野武左衛門作・古山師重画    (早稲田大学図書館「古典籍総合データベース」)       〈『鹿の巻筆』所収の鹿野武左衛門の落語「馬がものいふ物語」と梅干しとを「付会」して、金銀をだまし取った浪人     筑紫園右衛門と八百屋総右衛門は、それぞれ斬罪と流罪に処せられた。そしてそれに連座するように鹿野武左衛門も     「妖言の種となるべき由なし事を版行し、それがため人心を狂惑せしめし科」で、六年の流刑処分。しかしこれも挿     絵が問題視されたわけではない。たまたま挿絵を請け負った本がその内容を咎められたに過ぎない。2013/06/20追記〉