◯『細推物理』巻下〔南畝〕⑧399(蜀山外史著・享和三年(1803)十二月十九日)
〝十九日
例の会なり。宮戸勾当、小女をたづさへ来れり。まこと、かの十姉妹のふし付、またくなれり。此ほど
もちの夜、中戸屋にてうたひゝきて、中戸屋の婦にもつたへしなり。これは去年師走廿日あまり二日の
夜、高橋万里、田中氏など、酔い心地のあまり北里に遊びて岡本楼に宴す。朝妻といへるうかれめは、
むかし十字亭がかよひてめしける敷浪といふうかれめのかぶろなりしが、今は此屋のおもて座敷にあり
て、名だゝるうかれめなり。予が書るものひめ置しを、あるもの来りて、十姉妹といふ小鳥とかへしと
いふ。その夜、予が来れるを見て、その事をかたりいでたりしかば、予嘆じて曰、むかし王羲之が書を
鵞とかへしよりは、十姉妹の名、艶にしてまされりと、今年ゆくりなくその事を思ひいでゝ、十姉妹と
いへるめりやすをつくれり
十姉妹
本テウシ〽あだしあだ浪、よしてはかへる浪枕、君が市筆かきならす、硯のうみも、飛鳥川、きのふの
床に、岡本のアイノテあさづま舟の、朝夕に、ひくてあまたの、客さんが、鵞といふ鳥の、それならで、
名もむつまじき、あねいもと、小鳥にかへし、十姉妹
島田氏の女に新曲をつたふ〟
〈毎月十九日は蜀山人の例会。宮戸勾当は音曲の芸人。蜀山人作のメリヤス(長唄の一種)「十姉妹」の披露は、享和
三年十二月十五日。堺町の料亭・中戸屋において行われた。この作詞の動機は一年前のこと、蜀山人が高橋万里や田
中氏とともに吉原の岡本楼に宴席をもうけたとき、そこの遊女・朝妻(かつて十字亭が贔屓にした敷浪という禿)が、
秘蔵していた蜀山人の書と某客の小鳥(十姉妹)とを交換したと自ら語ったことがきっかけであった。蜀山人は残念
に思いつつ、かの王羲之が自らの書と鵞鳥とを交換した故事に比べれば、小鳥(十姉妹)の方まだ「艶にしてまされ
り」と思い返して「あだしあだ浪~」のメリヤスを作詞したという。なおこの「あだしあだ浪~」は英一蝶の「朝妻
舟」の自画賛のパロディ。岡本楼の遊女の名が朝妻であることから「朝妻舟」を元唄としたのである〉