☆ 明和年間(1764~1771)
◯『宝暦現来集』〔続大成・別巻〕⑥24(山田桂翁著・天保二年(1832)自序)
(明和年間の浄瑠璃)
〝土佐上下に外記袴、半太羽織に義太が股引、豊後可愛や丸裸かと皆申けり、其頃は土佐節、外記節、半
太夫節、義太夫、豊後、何も流行たるものなり。明和比迄は長唄めりやすなどは、狂言の相に少しまぜ
て唄たるもの、今の様に長唄流行はせざるなり〟
◯『江戸名物百題狂歌集』文々舎蟹子丸撰 岳亭画(江戸後期刊)
(ARC古典籍ポータルデータベース画像)〈選者葛飾蟹子丸は天保八年(1837)没〉
〝浄瑠璃
かな手本忠臣蔵の浄るりは住と筆との太夫出かたり
声ふときその浄るりの節さへもうまみは土佐にとゞめさしけり
浄るりでくらすうき世は有がたし豊あし原の国太夫ふし
雁かねの文字と名によぶ師のもとへつばくろ口をかゝへてぞ行
しんの世はいざしらねども今も又松に太夫のふしは常磐津
行雁とつばくら口のすり違ふふしは常磐津こえ柳はし〟
〈竹本節(住太夫・筆太夫) 土佐節 豊後節(国太夫) 常磐津節。〉
☆ 天保十二年(1841)
◯『藤岡屋日記 第二巻』p230(藤岡屋由蔵・天保十二年(1841)記)
◇女浄瑠璃
〝(十一月廿六日、女浄瑠璃三十五人召し捕られ、家主は手鎖、席亭女子は入牢)
題娘浄瑠理狂詩
当時流行人寄場 多是浄瑠理語嬢 日夜平生棹与撥 朝暮無隙紅粉粧
坐料内々金百疋 太平仮名新六行 勤番稽古更如鼾 鼾義太夫誉如鴬
君不見一月雑用 旦那半分見透贈間夫 町内評判千本突 又言仇名万年雛
度々看触少雖隠 平均名付莫止時 売淫天罰已為廬 将是因縁地獄堕
未忘昨夜巫山雨 難歩今朝行後路 空叫非常眼泣腫 坐食握飯口猶腥
呼出吟味白州上 見物大勢伝馬町 俄誦発心観音経 頻祈父母責聖天
一把大根捧欲油 二朱死金護摩烟 堪笑復古是享保 可足栄花幾何年〟
☆ 弘化三年(1846)
◯『藤岡屋日記 第三巻』③77(藤岡屋由蔵・弘化三年(1846)記)
〝新板伊予節葉うた
〽花のお江戸の七本ざくら、ぬしの心を組太夫、〽おもひ染太夫、はだ着仕立て早くおまへニ喜勢太夫、
日数かぞへていわた帯、ほどなくやゝうそだてあげ、〽名尾太夫とつけて、芝居を豊前太夫とあらた
めてつとめ升ス、〽ふつと御ゑんで清元はじめ、それから心も染太夫、〽わたし計が喜美太夫さんを、
ひゞニこゝろが政太夫、ぬしハ妻夫に志津太夫、栄喜太夫でいしやんすが、〽いつもの志喜太夫で、
深い延寿とあきらめてそはしやんせ。
〽今の浮世にならないものは、塗家博奕高利がし、隠売女に女髪結、岡場所いゝべべなりません、まだ
もならぬが女浄るり、かげまに高買かこひもの、〽わたしが女房さんをして、七十五日のそのあいだ、
なりません〟