☆ 明和四年(1767)
◯『草双紙事典』(叢の会編・2006年刊)
「亥之歳新板絵本目録」(『うらしま』所収の「広告一覧」)
〝戯作 八十二翁丈阿〟
☆ 明和五年(1768)
◯『草双紙事典』(叢の会編・2006年刊)
「ゑ本 子之年新版目録」(『大鳥毛庭雀』および『三世相袖鑑』所収の「広告一覧」)
〝戯作 八十六翁丈阿〟
〈『草双紙事典』はこの「子之年」を明和五年とする。不審なのは戯作者・丈阿の年齢、この明和五年の目録では
「八十六翁」とあるが、前年の同四年の目録では「八十二翁」である〉
〈平成二十五年(2013)五月、青森県五戸町の古谷義昭様から次のようなご示教をいただきました。
宝暦十二年刊、藤屋伝兵衛板の両面摺、表「【萬珍】永代大雑書」裏「【年号】重宝記」
これに「七六翁 丈阿書也」の署名があるとのこと。
この「七六翁」が版下を書いた時点、宝暦十一年の年齢なのか、出版年つまり宝暦十二年での年齢なのか、よく分か
らないのですが、かりに版下を書いた時点のものだとすると、明和四年がちょうど八十二歳になります〉
◯『半日閑話』巻十三 大田南畝記 ⑪413
〝絵草紙の表紙の標書(ウハガキ)を紅摺にする事は宝暦十年の春、丸小山本九兵衛の丈阿作より〟
〈該当する作品未詳〉
◯「長唄正本の筆耕に就いて」木村捨三著(『集古』庚辰第三号 昭和十五年五月刊)
(国立国会図書館デジタルコレクション)(2/13コマ)
宝暦元年正月刊 常磐津正本『比翼加賀紋』巻末「文字太夫直本清書所 沾翁書」
宝暦三年正月刊 常磐津正本『鐘入妹背俤』巻末「文字太夫清書所 丈阿」
同年 二月刊 同正本 『芥川紅葉柵』巻末「太夫直本清書所 丈阿」
〈著者木村捨三は宝暦1年本と宝暦3年本の書体が同じであるとして、沾翁と丈阿とを同一人とする〉
明和二年刊『渡辺綱一代武勇伝』奥書「八十翁丈阿」
同 四年刊『弁慶一代記』『今昔浦島咄』「八十二翁丈阿」
〝彼は貞享三丙寅に生れ(中略)没年は判明せぬが、明和の末八十五六歳の時であろうと思はれる〟
〝丈阿は享保十九年に五十九歳で沾翁とも号し、長唄や常磐津の正本の板下をも書き、小説にも執筆し
たので自然版元とも相知の間となり、その縁故によつてか宝暦明和の役者絵に俳句の賛をしてをるが、
特に初代鳥居清満、同清重の作品で西村永寿堂版行のものに多く見らるゝから、作者にして筆耕を兼
ねたことも併せ知られた〟
△『戯作者撰集』p16(石塚豊芥子・天保末頃~弘化初年成立、後、嘉永期まで加筆)
〝観水堂丈阿
草そうしに作者の名を書しは此人を原輿とするか〟