☆ 宝暦年間(1751~1763)
◯『賤のをだ巻』〔燕石〕①241(森山孝盛著・享和二年(1802)序)
〝其頃は先地紙売とて、四月半にもなれば、綺麗なるひとへ物に【猛暑といへども単物、足袋を用】足袋
雪駄をはき、地紙の形にこしらへたる箱を三ッ計、其間に骨を入たる角に長き箱を組入、馬の胸がひに
て中ゆひをして肩にかけ、地紙/\と呼て売歩行たり、屋敷/\の台所へ呼込て、扇を物好にあつらへ、
又即席に折もあり、よき慰にて、下女はした迄、地紙うりの男つきによりて取廻して、いらぬ扇を折ら
するものも有けり、翁が十二の歳【寛延三年】伊奈友太夫【市兵衛町御小姓組】の剣槍の術の門入しけ
るに、相弟子皆云合て、金平骨の扇子地紙一杯に熊を一疋かゝせて、稽古の時不残持たりし事あり、今
は中々さる模様の扇などは、子どもゝ目には掛ず、地紙売もいつの頃よりか絶て出ず〟
〈「其頃」とは宝暦年間(1751~1763)の頃と思われる〉
◯『塵塚談』〔燕石〕①289(小川顕道著・文化十一年(1814)成立)
〝扇地紙売の事、予若年の頃は、夏に至れば、地紙形の箱を五ッ六ッも重ね、肩へかつぎ売歩行ける、買
人ありて、直段極れば、すぐに其座にて折立て売し也、又持帰り折立、翌日持来も有り、近年、地紙一
切来らず、皆人京都下りの折扇を持事になれり、近頃は、扇に伊達を飾人はさらにみへず、右の地紙売
は、伊達衣服を着し、役者の声色或は浮世物真似などして、買人へ愛敬をして売れるが多く有し也、刻
多葉粉売りにも此類有ける〟
〈記者、小川顕道は元文二年(1737)生、その「若年の頃」とは宝暦年間に相当する〉
☆ 明和年間(1764~1771)
◯『宝暦現来集』〔続大成・別巻〕⑥25(山田桂翁著・天保二年(1832)自序)
〝明和七八年迄は、四月より七月中比迄、地紙売とて扇の地紙を売歩行て、好む人あれば直に折て、骨を
さし行たるもの、此男の風俗は至て花形にて、羽織を腰に挟み白足袋をはきて、何れも若き男計り、老
人は歩行ず、其頃は地紙売の一枚絵出たるもの也、薄き扇杉の組箱を肩に乗て、地紙々々と声を引て売
歩行しが、安永の比よりいつとなく止みにけり〟
☆ 安永五年(1776)
◯『半日閑話』巻十三(大田南畝 安永五年五月記事)⑪398
〝地紙形錦絵 此頃、地紙形の錦絵、芝居の役者似顔出る。折り目をつけ置、扇の古ル骨に張りて扇とす〟