◯『街談文々集要』p19(石塚豊芥子編・文化年間記事・万延元年(1860)序)
(文化元年(1804)「狂女粧紅粉」)
〝狂女ハ、いづくのもの、何れに住む事をしらざれども、世人、仙岱狂女と称す、眼前見る処、凡そ二十
年来容色変ぜず、一囊を負ひ、木履を着て聯歩す、暫も髪を乱し衣装を蔽(ヤブ)る事なく、朝に櫛梳り
夕に粧ふ、着る処のもの、或時ハ紅、あるときは白、ふりたりといへども綴を引く事なく、署に涼しき
を着、寒にあたゝかなるを重ぬ、荒年にも飢ず、水旱の労なく、三界を家とし、所住きはめず汚を座せ
ず、強て乞事なく、夫婦の家にして物をとらするに、男の手より曾てうけず、妻女の手よりあたふる時
ハ、袖に納め、銭あれバ蘭麝をもとめ、脂粉を買ふ、中島の枸杞煉下むらの油求めうれバ、さはりなき
簷外(ノキシタ)に寄て形ち作る、冬は負喧(フケン)しえ糸針をもて衣装をつくる。嗚呼、麻姑仙女清しといへ
ども、爪(ヒナタホコリ)とらざれバ見ぐるし、毛女剃らざれバ毛深し、絵にかける小町、もゝとせの姿ハつゞ
れをさげ畚を持り、何ぞ縫ざるや、何ぞ食器をあらはにもてるや、此女は一囊の中に調度の満てると見
へて、食するに器をあらわさず、いくばく年を経て顔色常に同じ、蜂腰かゞまず、俤のはかりて年のこ
と歎ずる色なし、遊歴する所、日をかさぬる事なく、市中に遊ぶかと見れバ、田家にあり、是地仙とい
ふべからむ、あまりの不思議なるに、其姿を写して賛あらん事を思ふ。
容驕仙岱女 寿数且無知 疑自蓬莱到 紅顔似昔時 敬忠
ねをたへてうきと岱もしらぬうき草のさそはぬ水に身をまかすらん 真柴翁
烟管為笄花作粧 幾年来往鬂猶香 不知嫗玩人間否 但見人間愛嫗狂 土衣平仲
狂女とも見へず柳の風静 清雅
梅の雪是や仙女の身だしなみ 篤興
俤のかはら撫子野石竹いつまで草の花のかんざい 筆の先黒
観仙岱狂女遊路傍 東元
雲帯衣装華作簪 年中隠跡路頭臨 是非膏薬徳平類 卓爾仙台狂女心
蝶の来て狂ふ仙女が髪の上 貢橘
水仙や年を経ても花の艶 徳賀
折て挿せ月のかつらをかんざしに 木釜〟