Top浮世絵文献資料館浮世絵師総覧
 
☆ せんだいはぎ 先代萩浮世絵事典
 ☆ 嘉永二年(1849)<五月>      筆禍「仙台萩」三枚続・画工不明       処分内容 ◎版元三河屋鉄五郎 板木及び在庫品の没収            ◎絵双紙屋 取り調べ中、釣り売りの禁止            〈この「仙台萩」の画工が誰か分からないが、言及がないから処分は及ばなかったのだろう〉       処分理由 無断出版(改(アラタメ)に出したものとは別に、彩色等手間を掛けたものを内密に制作し            て、高値で販売したこと)    ◯『大日本近世史料』「市中取締類集」二十一「書物錦絵之部」第二八六件 p210   『嘉永撰要類集』(『未刊史料による日本出版文化』第三巻「史料編」p419)    「錦絵無改之品出板并隠売いたし候絵双紙屋之儀ニ付調」(絵草紙掛り名主の町年寄宛伺書)   〝  元大工町 平次郎店 板元 三河屋鉄五郎    右鉄五郎儀、仙台萩と名附候三枚続錦絵、手を込メ摺立高価ニ売捌候儀入御聴、御内沙汰被為在候趣ニ    付取調候処、右は当正月中下絵を以、私共之内(濱)弥兵衛、(馬込)勘解由両人月番之節、改ニ差出    し、絵柄子細無之改印致遣シ、私共方ぇ差出候控絵は、外並一ト通之彩色ニて摺立、絵草紙屋一統見世    売仕候、然ル処、外ニ彩色遍数を掛ケ摺立候は、懇意之絵草紙屋のみぇ内々相頼、一枚ニ付銀壱匁程ニ    て内証売仕、尤、見世先ぇは差出シ置不申、及承買求メニ罷越候ても、買人之様子見計ひ、容易ニは売    渡不申趣ニ御座侯、右板元鉄五郎儀は、是迄度々無改之錦絵内証売致候間、其度々証文取置候得共、又    候此度遍数相掛内証売仕、於私共奉恐入候    一 錦絵之儀ニ付ては、毎度御沙汰も有之候間、絵双紙屋並絵師・板木師等ぇ前々被仰渡之趣申聞、御     趣意相守候様、度々諭方仕、請印取置候得共、今以右様心得違之もの有之、右之外、是迄無改之品又     は改遺し候後、絵柄模様を替摺立候も有之、及見次第取調、其度々板木削去売留申付、事立候分は申     上置、御沙汰伺中之向も御座候、一体無改之品売捌候得共、厳重之御沙汰は無之儀と見居候哉、何分     ニも相止ミ不申、私共ニおゐても深く奉恐入候、精々取締方打寄談判仕候処、先達て四谷太宗寺閣魔     王之絵浮説有之、殊ニ無改ニ付、売捌候者御吟昧相成、一同過料被仰付候得共、其当座のみニて、此     節ハ忘却心弛ミ致候様子、右様無改之品出板致候者は、重もに絵双紙取次商ひ致、俗ニせりと唱候も     の、又は板摺等多く、畢寛身軽之者ニて、利欲ニ泥ミ勘弁も無之、乍併、其度々申上御吟味為請候様     ニては、手荒ニ相聞、御仁恕之御趣意ニも相戻り、此儀心痛仕候、依之、無改之品開板いたし候ても     売捌不相成様仕法仕候ハゝ、仕入損毛相立候間、素より利欲ニ拘り候者共故、自然手懲仕相止ミ可申     哉と奉存候、右ニ付、以来無改之品は仕来之通、板元より板木摺溜為差出、取次商ひ致候絵双紙屋共     は、無改之品乍心得取扱候過怠ニ、取調中両三日位、見世先釣シ売之錦絵不残下ニ置商ひ為致候ハゝ、     商ひ留致趣意ニは無之候得共、当人共外聞不宜、向後絵草紙屋共無改之品売捌不申様之仕法相立可申     哉、乍恐存寄候趣奉申上候、御賢慮之上、御沙汰被成下置度、御内慮奉伺候、以上      酉五月                  絵草紙 名主共〟      〈三河屋鉄五郎板の三枚続「仙台萩」は正月、絵草紙掛の名主・浜弥兵衛と馬込勘解由の改(アラタメ)(検閲)を通って売     りに出された。ところが改に出したものとは違うもの、密かに彩色摺数を増やした異板が出回っているというのであ     る。それも懇意の絵草紙屋に頼んで店先には出さず客を見定めてから一枚銀一匁の高値で売っている由。今、1両=     64匁=6500文で換算すると、三枚続で約100文、一枚当たりでは33文になる。天保の改革では16文以上は禁止であっ     たから約倍の直段である。三河屋は改とは違うものを出版する常習者のようで、その度に証文を取っているが、効き     目はない様子。改(アラタメ)懸りの名主はいう、この頃は、それに加えて改に提出した下絵と違う絵柄のものさえ出回っ     ている。その都度板木を削り落とし売買を禁じているが、どうせ重い処分にはならないだろうと見積もっているのか、     一向に止まない。先般も四ッ谷太宗閻魔王の絵に関して浮説が流れ、その咎で過料に処せられたものがいたが、その     当座こそ慎しむものの、しばらくするとまたぞろ弛みが生じる。中でも絵草紙を取り次ぐ商売のせり売りと板摺はそ     れが甚だしい。そこで今後、無届けのものあるいは改めた後に手を加えたものについては、板元から板木および摺溜     めを差し出させる、またそれを承知で商った絵草紙屋の方は、取り調べ中の間、店での釣るし売りを禁じるようにし     てはどうかという、改(アラタメ)掛の要望である。これに対する、町奉行・遠山左衞門尉の回答は次の通り。なお「四谷     太宗寺閣魔王之絵浮説有之」は「筆禍史」弘化四年四月の項参照。また三河屋は弘化四年十二月の「七福神曽我之初     夢」で摘発を受けている。これも弘化四年の項参照)〉       (町奉行・遠山左衞門尉の回答)    〝書面錦絵の儀、不改受出板、或は改済之上彫刻手入等致し候板元よりは、板木・摺溜共為差出、右を乍    弁売買いたし候絵双紙屋共は、為過怠取調中釣し売不為致儀、商方見体ニ拘り候間、自然取締相成可然    奉存候〟    〈絵双紙掛りの名主の提案どおり、改(アラタメ)を受けないもの或いは改め後に手を加えたものについては板木・在庫品と     も没収。またそれを承知で売買した絵双紙屋はその過失を咎めて、取り調べ中は釣り売り禁止とした。釣り売りの禁     止は一種の見せしめで、一見してお咎めを受けたことが分かるから、他の版元に対しては抑止になると考えているよ     うだ〉