◯『明和誌』〔鼠璞〕中p198(青山白峰著・明和~文政迄の風俗記事)
〝むら松町団十郎煎餅、吹屋町かめ蔵せんべいと云ふあり。何れも味美にして、形まろく、さしわたし七
寸ぐらゐ。団十郎せんべいは、三枡に裏には舞づるをつけ、かめ蔵せんべいは、橘とうづまきを附、価
一枚十文づゝなり。亀蔵せんべいは、箱せんべいといふ。照降町親父橋の角にあり。今におきなやと云
見世あり〟
〈この市村亀蔵は二代目、後の十代目市村羽左衞門であろう。襲名は天明は八年(1788)〉
◯『集古』癸酉第四号 昭和八年九月刊
〝続々商牌集 其二 木村捨三
遠月堂菓子店
弘化頃より役者似顔辻占せんべいを売出して、芝居好きの連中に人気を博したる店なり。この辻占せん
べいといへるは、お手遊煎餅位のものを二つに折りて、丈二寸五分、巾一寸五分程の本の形ちになし、
彩色七度入りの似顔辻占を一枚づゝはさみたるものにて、絵は亀戸豊国、後には芳幾の手に成りしと云
ふ。その名高かりしこと、嘉永六年の当代全盛江戸高名細見の菓子の部に、山形として、元治元年のさ
いせい記、江戸高名の部の筆頭に載れるにても知るべし。これに次いで、大伝馬町の梅花亭と、八丁堀
の清真堂の二軒にても売出せしが、みなこの店の真似たるなり(後略)〟