◯『増訂武江年表』2p57(斎藤月岑著・嘉永元年脱稿・同三年刊)
(文化年間・1804~1817)
〝文化七、八年の頃より、石菖蒲の異品を玩ぶ事盛に行はれ、嚮(サキ)に行はれし橘に倍し、貴賤之を賞玩す。
(以下、品種名あり、略)〟
◯『宝暦現来集』〔続大成・別巻〕⑥169(山田桂翁著・天保二年(1832)自序)
〝文政七年八月より十二月廿日頃迄、石菖の鉢植流行せり、先年の立花の如し、さま/\替りたるもの出来、
斑入又は異形の品等分たる事二三十種を過たり、中にも高金之品は、有栖川、政宗、黄金、虎の巻、雪山、
黒龍、腰蓑、黄島、虎髭、昼夜などゝ申て大造に流行ける、其品々今に間々有之けるが、今は雨落或は泥
腐の淵などに植置なり、誰振向見るものもなし、流行と云ふものは何の訳やら、人々移り気たるものなり、
其時予根津薮下植木や勇蔵方にて、流行始めに政宗と云片身替り之石菖七鉢にて、金一両一分に買、両三
日過染井花や茂右衛門来りて、金四両二分に買度よし申故、金五両に売遣ける、直さま翌日彼茂右衛門、
四ツ谷大木戸相馬何某方石菖会へ持参し、金七両に売ける、又有栖川と申を八寸ぐらいの香炉に植付有之
を、予植木や清助より金十両に買受、直さま番町七郎左衛門殿と申御旗本へ、十三両二分に売けり、是を
売たるは十二月十六日、同廿日頃より俄直段下落して、損せしものも有り、予は仕合よく、僅十四五日之
問に彼是八九両徳分有ける、流行と云もの、手廻し能く慾少くすれば損はせまじ、夫をまご/\と引張居
ると損をするなり、流行ものは面白物也、是は若ひ丁簡でなければ出来ぬ也〟