Top浮世絵文献資料館浮世絵師総覧
 
☆ ざしききょうげん 座敷狂言浮世絵事典
   ◯『江戸文化』第三巻六号 (昭和四年(1929)六月刊)   (国立国会図書館デジタルコレクション)   ◇「古野の若菜」山崎麓著(24/36コマ)    (菱川師宣画『大和の大よせ』(天和三年刊)十八丁の詞書)〈読みやすくするため適宜漢字に改めた〉   〝さるやかたにて、座敷狂言のありしとき、中村勘三郎を召させられて、中山小夜之(さよの)介 舞台に出    て舞ひしを、御簾のうちにて上﨟たち御覧ありしが 野郎小夜之介が立ち姿に惚れて、余念なく見物ある    中にも一人の女﨟、勘三郎器量よく、いかにもして文やをる(ママ「文をやる」か)つてがなと思ひしに、いと    はづかしくうち過て心に思ふことのはを歌に詠みてやる      人づてはさしもやはとも思ふらん みせばやきみになれるすがたを〟    〈「やかた・御簾・上﨟たち」とあるから、大名クラスの座敷における芝居見物である〉  ○『集古』己卯第二号(昭和十四年(1939)二月刊)   (国立国会図書館デジタルコレクション)   ◇「大名邸内の座敷狂言」石井研堂著(8/13コマ)   〝 一立斎広重の筆に成る、大錦立絵三枚づゞきの座敷狂言と題する錦絵が有る、今手元に無いので、委し    いことは分らないが、時代は文政年間の発行、浅草かや町二丁目東角岩戸屋源八の蔵版で、腰を曲げた老    三太夫が、おやまなどに打ちまじつて周旋し、多くの御殿女中が、命の洗濯を喜んで居る図がらである。     予は最初この絵を見た時、所謂絵そらごとで、たゞ、画師の想像から描き出したものと思つて居たが、    備前国岡山藩士小川弥七郎自筆の随筆『千年草』中の座敷狂言の記事を見るに及んで、この催しは、左ほ    ど珍らしいことではなく、大名に通有な度々開催して行事なることを知つた。広重の錦絵の解説にもと、    その大要を左に抄出して、諸賢の覧に供す。    (一)寛政二戌年十二月十九日、御年忘並びに御任官御祝儀御兼合せ成され、大芝居来る、御上屋敷より    御揃成され上々(ママ)様にて入る、御客は建部内匠頭様、黒田甲斐守様、松平縫殿頭、山城守様、壱岐守様、    政太郎様にて入、御前さまへおさの初て御目見、仰付られ、段々御懇御意かふむり、難有仕合奉存候、御    狂言之番組左之通     ◯前狂言 大黒=坂東大吉 ゑびす=市川瀧右衛門 ばん頭=中島磯十郎 福者長者=市川綱蔵          娘おべん=岩井粂三郞 花聟金吉=大谷徳五郎     ◯仮名手本忠臣蔵 三四五六七九十段     ◯放鳥(役名・役者名詳記あれども、只役者名だけを留めおき、余は略す)         中島感左衛門 坂東善次 大谷門蔵 尾上松介 市川八百蔵 岩井半四郎 瀬川菊之丞         沢村宗十郎 市川部蔵 岩井喜代右衛門 坂東大吉 百右衛門    (二)同三亥年六月三日 御上屋敷へ芝居召させらる、尤も若殿より御慰として進められ候、番組左之通     御祝儀所作 二番目かしく曽我四幕      登場役者 市川綱蔵 坂東鯛蔵  中村芳蔵 市川岩松 佐野川粂蔵 市川瀧右衛門 中島磯十郎           坂東善治 岩井粂三郞 岩井喜代太郎 嵐龍蔵 岩井半四郎 沢村宗十郎 吾妻文蔵           中村梅蔵    (三)同亥年十二月十九日 春世界花麗曽我 百千鳥子日初恋      (役者菊之丞、半四郎、八百蔵等、其外略之)    (四)寛政四子年十二月十五日、年忘芝居召し呼ばる       所作名題、花車岩井扇 大船盛蝦顔見世 十露盤算相遊の狂言葛葉道行(役者名、今之を略す)    (五)同五丑年十二月廿六日、年忘慰物召寄せられ、御番組左之通       御寿長者の聟 姫小松後日狂言 江戸紫娘道成寺(役者名は今之を略す)     番付なども本物に擬ひ、凝つた物を拵へて居る、寛政元年三月の幕府の倹約令も、徹底的には、実行さ     れなかつたものと、思はれる〟    〈当時の岡山藩主は池田治政・建部内匠頭=林田藩・黒田甲斐守=夜須藩・松平縫殿頭=鳥取新田藩・松平山城守=上山     藩・松平壱岐守=今治藩〉