◯「閨中道具八景」(けいちうどうぐはつけい)※(かな)は原文のルビ
(『女教小倉色紙』中村三近子 藤皷溪作 西川祐信画 銭屋庄兵衛版 寛保三年(1743)刊)
〝臺子夜雨 (たいすのよるのあめ)
たぎり湯の音はしきりにさよ更(ふけ)てふるとぞ雨の板間にやもる
時計晩鐘 (とけいのばんしやう)
隙(ひま)もなく時をはかりのかねの声聞(きく)にさびしき夕間ぐれかな
鏡台秋月 (きやうだいのあきのつき)
秋のよの雲間の月と見るまでにうてなにのぼる秋のよの月
扇子晴嵐 (あふきのせいらん)
吹からに絵かける雲も消(きへ)ぬべしあふぎにたゝむ山の春かぜ
塗桶暮雪 (ぬりおけのぼせつ)
富士の山ふもとはくらきゆふくれの空さりげなき雪をみるかな
琴柱落雁 (ことぢのらくがん)
琴の音(ね)に引とゞめけん初雁の天津空よりつれて落(をち)くる
行燈夕照 (あんとうのせきせう)
山のはに入日の影はほのぐらく光をゆづる宿のともしび
手拭掛帰帆 (てぬぐひかけのきはん)
真帆かけて浦によりくる舟なれや入(いる)とは見えて出(いつ)るとはなし〟
閨中道具八景 西川祐信画『女教小倉色紙』所収 (跡見女子大・百人一首コレクション 1823/2591)
◯「風流絵合 坐鋪八景」城西山人巨川工 明和三年(1766)頃制作
「座鋪八けい あつまにしきゑ」鈴木春信画 松鶴堂刊
包み紙の目録「あふきの晴嵐 ・臺子の夜雨 ・鏡臺の秋月 ・琴路の落雁
あんとうの夕照・手拭かけ帰帆・とけひの晩鐘・ぬり桶の暮雪」
(『鈴木春信』2002年展覧会カタログ)
坐鋪(座鋪)八景 巨川工 鈴木春信画(ネット上の画像)
〈巨川が「坐鋪八景」を制作するに当たって、画稿の拠り所したのが上掲西川祐信の「閨中道具八景」。おそらくこれを画
工春信に示して作画を依頼したものと思われる。春信における祐信図様の借用はこれまで諸氏によってさまざま指摘され
てきたが、この「坐鋪八景」(それの春信署名版「座鋪八景」)においてもやはり典拠があったということになる。この
「閨中道具八景」の場合は、図様にとどまらず八首の歌をも、春信は使用している。春画の「風流座敷八景」がそれで、こ
こではパロディーにするでもなくそっくりそのまま使っている。下掲参照〉
◯「風流座敷八景」鈴木春信画
臺子夜雨 たきる湯の音はしきりにさよふけてふるとそあめの板間にやもる
時計晩鐘 ひまもなく時をはかりのかねのこへきくにさひしき夕まくれかな
鏡台秋月 秋の夜の雲間の月と見るまてにうてなにのほる秋のよの月
扇子晴嵐 吹からにゑがける雲もきへぬべし扇にたゝむやまのはの風
塗桶暮雪 ふしの山ふもとはくらき夕暮の空さりげなき雪を見るかな
琴柱落雁 琴の音にひきとゝめけん初かりのあまつそらよりつれておちくる
行燈夕照 山の端に入るひのかけはほのくらくひかりをゆつる宿のともし火
手拭掛帰帆 真帆かけてうらにより来る舟なれや入とは見へていつるとはなし
(以上「国際日本文化研究センター 艶本データベース画像」および石上阿希著「鈴木春信画『風流座敷八景』考」国際
浮世絵学会『浮世絵芸術』2008 No.156 所収)
〈「閨中道具八景」の歌を「坐鋪八景」の画中に入れなかったのは、おそらく巨川の指示だったと考えられるが、春画の
『風流座敷八景』の場合は、入れることになんらかの意図があったものと思われるが、よく分からない〉