◯「読売新聞」(明治25年12月19日記事)〈原文は漢字に振り仮名付、()はその一部分〉
〝歌川派の十元祖
此程歌川派の画工が三代目豊国の建碑に付て集会せし折、同派の画工中、世に元祖と称せらるゝものを
数(かぞへ)て、碑の裏に彫まんとし、いろ/\取調べて左の十人を得たり。尤も此十人ハ強ち発明者と
いふにハあらねど、其人の世に於て盛大となりたれバ斯くハ定めしなりと云ふ
凧絵の元祖 歌川国次 猪口(ちよこ)絵 元祖 歌川国得
刺子半纏同 同 国麿 はめ絵 同 同 国清
びら絵 同 同 国幸 輸出扇面絵同 同 国久・国孝
新聞挿絵同 同 芳幾 かはり絵 同 同 芳ふじ
さがし絵同 同 国益 道具絵 同 同 国利
以上十人の内、芳幾・国利を除くの外、何れも故人をなりたるが中にも、国久・国孝両人が合同して絵
がける扇面絵の如きハ扇一面に人物五十乃至五百を列ねしものにして、頻りに欧米人の賞賛を受け、今
尚其遺物の花鳥絵行はるゝも、前者に比すれバ其出来雲泥の相違なりとて、海外の商売する者ハ太(い
た)く夫(か)の両人を尊び居れる由〟
◯『浮世絵と板画の研究』樋口二葉著 日本書誌学大系35 青裳堂書店 昭和五十八年刊
※ 初出は『日本及日本人』229号-247号(昭和六年七月~七年四月)
「第一部 浮世絵の盛衰」「九 浮世絵の描法に就いて」p60
(刺子図)
〝刺子の下図を附けるは思ひ切た長細い図を描ねば、一面に糸で刺し揚げた後、物にならない。人物の面
相でも一尺に仕揚るには、一尺五寸に描ねば釣合が取れないのだ。言ふまでも無く刺子は雑巾の如く竪
に刺すから、一尺五寸の丈は一尺に縮むが例である。で、下図も其の心得で筆を執る、杵に目鼻を附た
やうな顔が刺し揚げると丁度釣合の取れた並々の顔になるのだ。総て縦の縮む絵は此の手加減が大切で、
提灯の絵なども刺子の絵と大差なり比例になつて居る〟