◯『錦絵の彫と摺』石井研堂 芸艸堂 昭和四年(1929)刊
(第八章 彫の三、色板 甲、色わけ)p50
〝絵師の色わけ法は、錦絵の出来上りなる五彩燦然たる全画面の美観が、明々白々胸中に浮かんで居れば
こそ、之を分解して、左程の色おちも無く、出来上がるのである。如何に熟練とは言へ、其心匠意識驚
くべき技倆である。
が、この色わけの法は明治二十年ころまでを限り、それ以後は、全然廃れて仕舞つた、即ち近頃の版画
絵師は、石版法などの如く、最初、彩色前備の一枚を作つて之を授けるか、或は「差し上げ」と称し、
校正摺一枚に、全彩色を施して与へ、色分けは全然彫師に任せて顧みない者が多い。従つて、絵師に製
版上の酌量なく、只五十遍摺八十遍摺といふやうに、手数ばかり掛り、其割合には、見栄の無い繊弱な
肉筆まがひの摺物を得るにすぎないやうに堕落して仕舞つた〟
〈「色わけ」は「色ざし」と同義〉
◯『浮世絵と版画』p100(大野静方著・昭和十七年(1942)刊)
〝「耕雲堂漫筆」に、歌川豊春大人が東錦絵を彩るには、数枚筋彫をした板行画に、一色づゝを絵の具皿
にときたる岱赭墨にてぬり、紅、くさ色、藍、などゝ傍らへ認め渡す〟
〈「筋彫をした板行画」は「校合摺」のこと。「耕雲堂漫筆」は蔦屋重三郎の著。「日本古典籍総合目録」には見えない〉
〝校合摺(彫師が彫り上げた墨板を使って摺師が紙に摺ったもの)を色数だけの枚数に摺り、別に一枚校
合摺よりは上質紙に摺りたる彩色用のものを添へ画家へ廻し、「色ざし」をして貰ふのである。現今で
は「さし揚げ」と称して画家の彩色を施したるものに拠つて、彫工か摺工が各色を校合用紙一枚へ一色
ずつ同色の部分だけ、色分けして色板を彫るやうになつたが、以前は画家自からが行つたのである。画
家の彩色を施したものが色摺の見本として用ひられるので、画家の指定した色ざしを得て色板を作り色
摺に着手するのである〟
〈「色ざし」とは色板を作るために絵師自身が校合摺を用いて色指定すること〉