◯『古今大和絵浮世絵始系』笹屋邦教編
(大田南畝の識語)
「右の始系は本銀丁縫箔屋主人【笹屋新七】所書なり写して類考の後の後に附す。参考して其実訂すべし。
猶後考をまつ。(ママ「の後」は衍字か)
庚申夏五晦 杏花園」
〈寛政十二年五月晦日、大田南畝(杏花園)はこの「始系」を写して、自身の『浮世絵類考』に補綴し一本とした〉
古今大和絵浮世絵始系 笹屋邦教編
◯「菱川師宣家譜」山東京伝輯
(『【四大奇書】集古随筆』(井口松之助編・明治三十二年刊)所収『捜奇録』巻之一)
(国立国会図書館デジタルコレクション)
〝縫箔師之末流白銀町大竹新七と申縁類の由 四五拾年以前此方へ尋参候由 名は笹屋新七と申候由
御尋候はゞ少しは相分可申候〟
〈これは享和二年(1802)頃、安房平群本郷村の医師・渋谷玄龍なる人が、山東京伝の依頼に応えて、菱川師宣の生誕
地である安房保田村近辺に遺る家譜や遺品について記した報告の一節である。大竹新七は上掲『古今大和絵浮世絵
始系』の編者。「縁類」とあるから、大竹新七の先祖は菱川家の誰かと姻戚関係にあったらしい。両家とも縫箔屋で
あったからその縁で結ばれたのであろうか。四五十年以前というと宝暦年間(1751-1763)に相当する、大竹新七は
師宣の生誕地保田を訪れていたのである〉
「菱川師宣家譜」(全文)(国立国会図書館デジタルコレクション)
○『墓所栞』(山口豊山編 成立年未詳)
(国立国会図書館デジタルコレクション)
〝笹屋邦教(忌日不記載) 宗円寺 称新七郎 本銀町一丁目住 大竹氏 師宣の縁類と云 縫箔師也