☆ 文化二年(1805)
◯「玉屋景物」黄表紙仕立本 豊国画・山東京伝作 文化二年序(〔国書DB〕画像)
〈本町二丁目、紅問屋・玉屋が製作した黄表紙仕立ての宣伝用景品〉
〝(本文中)玉やと申すは ふるくしにせ(老舗)たるみせにて 本さゝいろけしやうべにといや(笹色化
粧紅問屋)なるが(云々)〟
(巻末)〝御髪油白粉笹艶/◎品紅製所 京都出店本町貳丁目角 紅問屋たまや〟
〈この「笹艶」が口紅の「笹紅」を指すと思われる。◎は貼付シールの下で読めず〉
☆ 文化十三年(1816)
◯「シカゴ ウエストンコレクション 肉筆浮世絵」
水野廬朝画「見立三酔図」絹本一幅
落款「文化丙子時風 應需六十九叟 戯画」印章「廬朝」「攀鱗齋」
賛 「すいといひあまいといふもにがにがし ただなまぐさきおととぞ思へ 蜀山人」
〈「文化丙子」は文化十三年、「時風」は当世流行の風俗といった意味。三人とも下唇は笹紅(笹色紅)、中央の兵庫
髷の遊女といい、当時最も持てはやされた衣装付き・着こなし・化粧法であったのだろう〉
◯『江戸買物独案内』上巻(中川五郎左衛門編・山城屋ほか・文政七年(1824)刊)
(国立国会図書館デジタルコレクション)
〝玉屋勘兵衛 本町二丁目南側
京都紅/染物 笹色飛光紅/極上細工紅 紅卸〟
◯『近世風俗史(二)』岩波文庫本
(原名『守貞謾稿』喜田川季荘編・天保八年(1837)~嘉永六年(1853)成立)
◇第十編「女扮上」p92
〝守貞、文化七年の生なり。幼稚の時、婦女の唇紅濃くして真鍮色にす。江戸も文化十年ばかりまではこ
れに同じ。始めは紅を濃くして玉虫のごとく光るを良とせしが、また紅の多くいるを厭ひて下に墨をぬ
り、その上に紅をぬれば紅多く用ひずして真鍮色に光るなり。
けだし図のごとく上下唇ともに墨を左右にはぬらず、唇の半にのみ塗るなり。両辺は薄紅にぬるなり。
図のごとく紅を真鍮のごとく、また玉虫のごとく青くひかるばかりに濃くぬるを、俗にさゝいろべにと
云ふ。笹色紅なり。青きをいふなり。
今世、唇紅の濃を良とせず淡色にぬる。江戸は特に淡色に装ふなり〟
◇第十一編「女扮下」p197
〝今世、江戸の粧ひ、平日は素顔多し。式日および他行にも淡粧多く、口紅も桃花色にす。江戸も文化頃
は笹と云て、青く濃く唇紅せり〟