◯「八丁堀の端午」原胤昭(『江戸時代文化』第二巻第五号 昭和三年五月刊)
(国立国会図書館デジタルコレクション)(6/38コマ)
〝猿回し 正五九月と云ふ祝日を指して来る、定花客と極めてゐて、毎時も同じ猿回しが来た。元来猿の
舞ひ猿の御祈祷は厩のために執行するもので、其起立には面白い次第があつたと思ふが今は忘れて了つ
た。猿廻しは小太鼓をテンテコ/\たゝいてやつて来る。猿は先づ玄関でせんぺいでも喰べて一ト休み
してゐる。厩の支度が出来ましたと、抱えの別当あの馬丁が知らせて来ると、猿は直ぐ猿回しの腕に飛
びついて厩に行く。私共は其の設けの席について観る。猿は型の如く、悪魔払ひ厩の浄めを演舞する。
それより又元の玄関に戻る。これよりは余興だ。座敷に設けた席に入る。近所の娘子供と見物に来る、
大入大繁昌で猿芝居をする、演じ終ると、幾らやつたものか知らないが、足つき膳一尺四方位へ盛りあ
げた白米と、紅白水引を掛けた目録包を与へた。
猿牽の一群は、浅草の山谷橋近く、今の亀岡町辺に十二軒の家があつて住んで居た。それが江戸の猿
牽定員で、適(たまた)ま地方から出稼ぎに来る者は、此の十二軒へ渡りをつけ、其処に泊つて居て江戸
中を歩いたものだ〟
〈著者・原胤昭の家柄は、江戸八丁堀の町方与力(騎馬の士)〉
◯『絵本江戸風俗往来』p24(菊池貴一郎著・明治三十八年刊)
(「正月」)
〝猿舞(サルマワシ)
正月の乗合船には欠くべからず。また一蝶風の画に多し。衣服二様あり。何れが古色なるをしらず。羽
織・袴の姿あり、万歳に随う才蔵の如くなるあり。年々御出入の大名・旗本の馬ある屋敷には必ず参る。
町家には稀なり。武家方へ出づるや、御殿の御召(オメ)しに応ずるあり。また御厩ばかりにて御暇(オイトマ)
給わるもあり。猿の芸づくしも正月の興には可笑しくして賑わし〟
〈猿回しは武家正月の風物詩。猿は馬の守護神、厩舎のある武家を廻って邪気を祓う〉