◯『嬉遊笑覧』下(喜多村筠庭信節著・文政十三年(1830)自序)
(国立国会図書館デジタルコレクション 成光館出版部 昭和七年刊 五版)
◇巻九「娼妓」散茶(162/359コマ)
〝寛文年中 散茶といふ者出来て揚銭も金百疋になる 局の構へやうは表に長押を付 内に三尺の小庭あ
り 局の広さは九尺に おく行弐間或六尺なり〟
〝『江戸鹿子』(貞享四年の刻なり)太夫は三十七匁 格子は廿六匁 山茶は金一歩(太夫揚代もとのごと
し)局は五匁三匁 その下は銭百文云々〟
◇巻九「娼妓」散茶(163/359コマ)
〝貞享四年版『江戸土産咄』に 近頃より散茶と云て太夫格子より下ッ方なる女中あり 大尽なるは揚屋
にて参会し 夫より及ばざるは散茶の二階ざしきにて楽しむ云々『原本洞房語園』に寛文八年の頃 端
々の売色ども吉原へ移りし時 風呂屋者ありて風呂屋の家作りを用ひ 局廓を広く構へ 大格子を付け
庭を広く取り ギウ台とて暖簾の側に三尺四方ばかりの腰かけを付ギウといふ者を付置て 客を引「当
時女郎部屋の家作り皆参茶作りなり」有来りし傾城とちがひ意気もなくてふらぬといふ心にて 散茶と
いひけるがいひやまずして 終に惣名と成たり 近年散茶みせの模様をかへて 広き庭をもとらず 大
格子の内を局座敷に拵へたるを散茶に対し むね茶と戯にいひけるが、是も又此頃は本名のやうに成た
り 『色三線』(三)近き頃のしだしうめ茶で咽のかはきをやめ 当座払の気さんじ それから五寸三寸
新町がしの かきのうれんは 定て百宛ころりとねて云々 かくはあれども 散茶は何をいふにか按る
に『籠耳草子』(十一)その家の下女 そばに茶をふりてゐける云々 茶をたつるをふるといへり これ
は挽茶にはあらず 枝などの雑りたる麁茶を濃く煮て茶筅にて振たつるなり 散茶とは今いふ煮ばなに
て好茶なり「ちらし」ともいへり〟