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☆ さんぷくついむらさきそが 三幅対紫曽我浮世絵事典
 ☆ 安永七年(1778)      筆禍『三幅対紫曾我』(黄表紙)       処分内容 絶板 発禁(伝聞)            ◎自作・自画 恋川春町(記載なし)◎板元 鱗形屋(記載なし)       処分理由 藩主を作中に仮託したこと     ◯『宴遊日記』(柳沢信鴻記・安永七年(1778)三月一日記)   〝今年新刻草双紙三幅対紫曽我と云本、久留米侯・松江隠侯・溝口隠侯を作りし故板を削られ、当時世に    流行を留られし由、幸ヒ八百所持ゆへ取寄せ見る〟    〈『三幅対紫曽我』は恋川春町自作・画。久留米侯は藩主・有馬頼徸。松江隠侯は出雲松江藩六代藩主・松平宗衍(南     海公)。溝口隠侯とは越後国新発田藩七代藩主・溝口直温。この三侯を曾我物の三幅対(秩父重忠・工藤祐経・曽我     十郎祐成)に擬えたもの。工藤祐経が「年来の勤功によりて、是れまで家格になき、一臈別当仰せ付けられければ」     とあるところなど、有馬頼徸が「国鶴下賜」を三度受け伊達・島津に並ぶ大藩になったことなどを連想させるのであ     ろう。この草双紙は三侯を批判したものではない。なお、棚橋正博氏は著書『黄表紙總覧』の備考で「『宴遊日記』     に「板を削られ」とあるが、その形跡はないとし、削られたとするのは大当たりせし故の風聞かとする」〉