☆ 嘉永四年(1851)
◯『増訂武江年表』2p(斎藤月岑著・明治十一年成稿)
(嘉永四年)
〝秋より、猿若町一丁目中村勘三郎が芝居にて、中古下総国佐倉にて事ありし佐倉惣五郎が事跡を狂言に
取組興行、俳優市川小団次この役をつとめる(柳亭翁が作の「田舎源氏」といふ稗史をつゞり合せたり)。
見物の貴賤山をなし、佐倉の村民も此の噂をきゝ、競うて江戸に来り此の芝居を見物せり(江戸よりも
芝居掛りの者、各報賽として彼の地の霊社へ詣して香火をさゝげしとぞ)〟
◯『藤岡屋日記 第四巻』p437(藤岡屋由蔵・嘉永四年記)
◇佐倉宗五郎狂言大当たり
(八月から市川小団次の佐倉宗五郎新狂言「東山桜荘子」大評判大入大繁昌)
〝中村坐惣役者中、宗吾詣の絵三枚続き、飯田町人形屋太吉方にて出板致し、十月廿日過には配り候積り〟
〝十月廿日過に配り候積り、中村坐役者中松翁大明神詣之図三枚続之絵、漸く霜月十一日配りにて出候〟
〝極月十二日、八丁堀茶金、宗吾の板、半紙六図も摺込候て、福嶋三郎右衛門へ板を差出し候由、右騒ぎ
にて、布袋市も商内を三日休み候よし、紐庄は一向構ひ不申候よし〟