☆ 寛政九年(1797)
◯『鳥獣略画式』蕙斎(北尾政美)筆 須原屋市兵衛板 寛政九年刊〔国書DB画像〕
菫斎閑人序「秋雨 無聊 蕙斎来ていふ たま/\半日の閑を得たり 雅事の消遣(気晴らし)すべきあり
やと 我忽(ち)一計を生じ まづ彼に筆研を授け 傍(ら)なる字書を閲し 漫に鳥部を文字をあけて読む
随てよみ随て写す 終に犭部に及ぶ 瞬息の間に飛走 帋上に群をなす 筆勢の妙いわむかたなし 戸庭
を出ずして 多く鳥獣の形を識りぬ」
〈菫斎閑人が字書の鳥から獣の部へと次々に読み上げるに随って、蕙斎はその都度その形状を瞬時に画いていったのである。
当意即妙のパフォーマンス(曲画)、蕙斎には、需(もとめ)があればそれが何であれ即座に画い見せるをいう自負あったも
のと思われる〉
☆ 文政五年(1822)
◯『正本製』五編(歌川国貞画 柳亭種彦作 西与板 文政五年刊)
(国書データベース) ※(かな・漢字)は本HPの補記
〝〔国貞口上〕私ぎ 此度伊勢参宮より 上坂仕りましたにつきまして かの地の芝居おもむきを 正本
じたて五へん目へしたゝめまするやう 板元のすゝめによりまして 又候(またぞろ)相かはりませぬふ
つゝかなるゑさうしを ごらんにいれます
〔種彦口上〕国貞申上ヶまするとほり 板元のたのみによりまして 愚作いたしてはござりますれど
私は上坂仕りましたことがござりませねば かの地のねほん(根本)をかりうけまして ただ
かうでもあらうと すゐりやうばかりのおしあてざくあてる と申がえんぎになり(後略)〟
〈版元のアイディアに呼応して成った合巻の例である〉
☆ 弘化四年(1847)
◯「月本因幡之助(市村羽左衛門)」三枚続の内
「梓元乃応需 豊国画」山口屋藤兵衛板 弘化四年(改印-衣笠・浜)
〈この役者絵は版元・都沢の注文に応じたもの。早大演劇博物館・浮世絵データベースより〉
◯『芸苑一夕話』下巻(市島春城著 早稲田大学出版部 大正十一年(1922)五月刊)
(国立国会図書館デジタルコレクション)(118/236コマ)
◇四六 一陽斎豊国
渡世の筆と感激の筆
文政天保から安政にかけて、盛んに錦絵双紙を書いたので、世に知られた、二(ママ)代目一陽斎豊国と
いふ浮世絵師が、曾て江戸の蔵前なる札差某の隠居から、其の肖像を描くやう依頼を受けたことがある。
処が容易に筆を執らぬので、隠居は、やきもきして、頻りに催促してゐたが、漸く三年ばかり経つて、
其の絵が出来た。そこで、先方へ通知してやると、隠居は、使つてゐる一人の小僧を請取りに遣つた。
小僧は、軈(やが)て豊国から渡された隠居の肖像を請取つて、暫しは無言で、つく/\それを見詰めて
ゐたが、「あゝ、よく肖(に)た」と覚えず叫んで、頗る感に打たれたらしい様子であつたが、果ては、
不思議にも、ほろ/\と涙を零(こぼ)した。
之を見てゐた豊国は、なぜ泣くのかと、不審の余り、件の丁稚小僧に向つて其の訳を問うて見た。処
が其の少年の曰く、私の田舎に居る年老いた父の像も、斯様(かやう)に書いて貰つたら、常に遇ひたい
と思ふ時、それを見ては、恰(あたか)も膝元に居るやうな心持がするであらうに、それも叶はぬと思う
たので、つい、涙を流しましたと答へるを聞くや、豊国は深く感じて「お前の父は遠国にゐる人だから、
其の顔を写すことは出来ないが、其の代りに、自分は今直ぐ、お前の顔を写してやらう。それを国へ送
つてやつたら、お前が遇ひたいと思ふ以上に、お前を見たがつてゐる老いたる父が、さぞ喜ぶであらう
から」と即座に筆を執つて、見る/\少年の面影を、婉然(さながら)、生けるが如くに写し、彩色まで
も加へて与へた。
小僧は非常に喜んで、帰つて之を主人の隠居に出して示した。併し、隠居は甚だ不機嫌で、其の後、
飄然(へうぜん)と豊国がやつて来た時、隠居は散々苦情を言つた。「小僧の為にはすぐ目の前で書いて
やりながら、自分のものは、なぜ早く書上げてはくれなかつた。三年越しも待たせるとは酷い」と、皮
肉や愚痴を連発した。
其の時、豊国は厳然として隠居に言うた。「凡そ肖像といふものは、学問があるとか、徳があるとか
いふ人の面影を描くもので、貴下の如きは、失礼ながら別に学問があるでもなく、又徳があるでもない。
只の金持の老人だといふのみでは、どうも其の姿を書く気になれぬ。自分は、絵によつて渡世する身で
あるから、客の注文に応じて是非なく書くが、実は中心から好んでする訳ではない。然るに、御宅のあ
の小僧は、幼少ながら孝子であるから、肖像を書く値打も興味も出て来たのである。あの様な親孝行者
ならば、本人から乞はれずとも、自分は進んで書いてやりたい」と、滔々として説き立てたので、隠居
は一言もなかつたといふ。浮世絵師でも、名流になれば、流石、何処かに見識のある所が嬉しい〟
〈浮世絵師が署名の際に用いる「応需」とは、国貞(三代目豊国)の「自分は、絵によつて渡世する身であるから、客の
注文に応じて是非なく書く」という言葉に尽くされている。このようなエピソードが実際にあったかどうかの詮索は
必要ない。自分は絵かきとなりわいとする、したがって客からの依頼があれば、その注文に応じてひたすら画く、そ
れが職人としての使命である。「応需」にはそうした浮世絵師の心意気、あるいは自負心が込められている見るべき
であろう〉