◯『世のすがた』〔未刊随筆〕⑥41(百拙老人・天保四年(1833)記)
〝王子土産の狐も近来は錦絵同様にたくみに作り、芝居者の似顔笑ひ絵など作り出す、これらはいづれも
麁末にて田舎の品めき珍らしきを愛する主意も、いつか江戸市中の品に殊ならざるよふになりけり〟
◯『絵本風俗往来』中編 菊池貴一郎(四世広重)著 東陽堂 明治三十八年(1905)十二月刊
(国立国会図書館デジタルコレクション)(78/133コマ)
〝十二月 王子の狐火
王子稲荷神社の門前なる畑中に、いとも大きなる榎あり、是を装束榎と称したり、年々十二月大晦日の
深夜数千の狐、此の榎の下に集まりて榎を飛び越すとかや、飛ぶこと高きに随ひて狐に官位の高下のつ
くとぞ、故に此の榎を装束榎といひける、年々大晦日の夜は必ず此の辺に数点の狐火むらがりて上下せ
り、己れ蘆の葉若年の比、二とせ斗(ばかり)見にゆきしことあり、実に聞く所に違はず、数百とも思ふ
斗の狐火を見たり、此の辺は都(すべ)て樹木森々として、白昼すあらうすぐらく、春の花夏の瀧の外は
人の通行もあらず、まして暗夜の大晦日、北風は寒く木々の梢へ吹き、遠近寂寞として物音なく、彼の
狐火は見ゆるかとすれば失せ、失せるかとすればまた光り、身の毛もよだつばかりなり、勿論空高く東
天紅の映ずるに従ひ、夜明けては其の跡も留めざるよしなり〟
〈蘆の葉散人はこの『絵本風俗往来』の著・画者菊池貴一郎(四世広重)のペンネーム〉