◯『賤のをだ巻』〔燕石〕①242(森山孝盛著・享和二年(1802)春序)
〝地紙売とて、四月半にもなれば、奇麗なるひとへ物に【極暑といへども単物、足袋を用】足袋、雪踏を
はき、地紙の形にこしらへたる箱を三ッ計、其間に骨を入たる角に長き箱を組入、馬の胸がひにて中ゆ
ひをして肩にかけ、地紙/\と呼て売歩行たり、屋敷/\の台所へ呼び込て、扇を物好にあつらへ、又
即席に折もあり、よき慰にて、下女はした迄、地紙うりの男つきによりて取廻して、いらぬ扇を折らす
るものも有けり、翁十二歳【寛延三年】伊奈友太夫【市兵衛町御小姓組】の剣槍の術の門入しけるに、
相弟子皆云合て、金平骨の扇子地紙一杯に熊を一疋かゝせて、稽古の時不残持たりし事あり、今は中々
さる模様の扇などは、子どもゝ目に掛ず、地紙売もいつの頃よりか絶て出ず〟
◯『蛛の糸巻』〔燕石〕②276(山東京山著・弘化三年(1845)序)
〝扇売といふものありけり、扇の形ちしたる箱をいくつもかさねたるを肩におき、あふぎ/\とよびあり
く、そのすがたは、染ゆかたに白き脚半、じん/\ばせをり、おほかたは、なまめきたる男あみがさを
かぶる、よびいるれば、地紙をみせ、骨をみせ、其坐にて折りて売るなり〔頭書〕【初代市川門之助と
いひし色やくしや、扇うりの狂言をしたる事ありき、市川門之助(幼名弁藏)-市川男女藏(幼名弁之
助)-市川門之助(幼名多門)】是正徳頃の遺風なりしに、寛政に至りてたえたり〟
◯『燕石雑志』〔大成Ⅱ〕⑲392(飯台簑笠翁(曲亭馬琴)著・文化七年刊)
〝唄比丘尼と扇売りは、二三十年〈安永・天明〉以前までありけり。(中略)
扇売は地紙の形したる箱をかさねて肩にし、毎夏(ナツゴト)に巷路(コウヂ)を呼びあるき、買(カハ)んといふ
人あれば、その好みに任し即座の是を折て出(イダ)しき。只今三十以下の人はかゝる事をしらざるべけ
れ〟
◯『塵塚談』〔燕石〕①289(小川顕道著・文化十一年成立)
〝扇地紙売の事、予若年の頃は、夏に至れば、地紙形の箱を五つ六つも重ね、肩へかつぎ売歩行ける。買
人ありて、直段極れば、すぐにその坐にて折立て売りし也。又持帰り折立、翌日持来も有り、近年、地
紙売一切来らず。皆人京都下りの折扇を持事になれり。近頃は、扇に伊達を飾人はさらにみへず。右の
地紙売は、伊達衣服を着し、役者の声色或は浮世物真似などをして、買人に愛敬をして売れるが多く有
し也。刻多葉粉売りにも此類有ける〟
◯『明和誌』〔鼠璞〕中p192(青山白峰著・明和~文政迄の風俗記事)
〝明和時代までは、元朝より扇子々々とよびて商ふこと、今のはぜ売りの如し。暑中に至、地紙をうりと
ゝのへ候得ば、直に扇子に折りたて商ふこと、古風のかたちなり〟
〈扇地紙売りは明和期あたりまで市中を廻っていたようである〉
◯『宝暦現来集』〔続大成・別巻〕⑥35(山田桂翁著・天保二年(1832)自序)
〝扇売、安永年中迄は、元朝より扇々と云て、正月十四五日迄売来るもの、又天明年中よりは此商人止み
て、払扇箱買ふと云て、元日より来るなり、昔の商人は扇を売計、今の商人は払ひ扇箱買ふと云て、買
たり売たり、扱々賎しき商人の風義にぞなりける〟
◯『近世風俗史』(『守貞謾稿』)巻之六「生業下」①244
(喜田川守貞著・天保八年(1837)~嘉永六年(1853)成立)
〝扇地紙売り(扇子の古骨等を出しこれを求むるに即時地紙を折て、これを合製するなり)
(『塵塚談』の記事を引用)
また明和二年撰『川柳点』に、地紙売母の逢のも垣根越(ゴシ)、尻持に和尚を持(モチ)て地紙うり。
二句ともに蕩子父に勘気を受たるの状を云へり、浮世ものまねするの意に合へり〟
◯「古翁雑話」中村一之(かづゆき) 安政四年記(『江戸文化』第四巻三号 昭和五年(1930)三月刊)
(国立国会図書館デジタルコレクション)
◇「団扇売 扇売」(22/34コマ)
〝夏は団扇売扇売といふもの来り 竹にさま/\のうちはを挟みて さら/\うちは奈良うちはとよびあ
りく 扇売は幾重も組たる箱の中に地紙を入て 人の許に来り好にまかせ目前にて骨をさし売あたふ
是等のあき人はなにとやらん 職人画の余風めきてみやびなりしか 寛政の末までに皆いつとなく止て
今は知る人もまれなり 又冬はむし鰈売とて鰈の干たるに銭差を通し長き棹に結ひ下けて売来る 是は
いと近き頃迄来りしかいつとなくやみたり〟