◯「桜餅」三田村鳶魚著『日本及日本人』大正九年刊(『三田村鳶魚全集』第一巻 p381)
〝桜餅のおとよが一枚絵に出たのは、算え年の十八という安政四年十一月であるが、その時は長命寺内の
店にはいなかったらしい。(中略)おとよは福山侯の奥向きに収容された。しかるに安政四年六月十七
日、阿部閣老は三十九歳で卒去された。内寵の多いだけに、病気についても様々な説を伝えた。特にお
とよが入仕して間もないのであるから、十万石の諸侯、権勢の凄じい老中も、哀れ桜餅の娘のために生
命を殛(コロ)したといわれ、水戸の烈侯を手玉に取った阿部閣老も、おとよゆえに若死をさせられたと、
当時は盛んに吹聴した〟