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☆ おとしばなしのかい 落し咄の会浮世絵事典
 ◯『きゝのまに/\』〔未刊随筆〕⑥108(喜多村信節記・天明元年~嘉永六年記事)   〝焉馬が落し咄の会を向島にて催し初めしも、享和初めごろ也、太平楽の巻物といふを作りて、焉馬みづ    から持ありきてよみ聞せたり、其頃時々落し咄の会あり、是(ママ)を咄を作り各でてよしあしを評し、一    二と次第を分つまで也、後狂歌社流と同じく、春は焉馬も発会をしたるにいつも落咄有〟    〈暉峻康隆著『舌耕文芸年譜考』によれば、烏亭焉馬の落し咄は、天明六年(1786)四月十二日、向島の料亭武蔵屋に於     いて行われた初会に始まるようだ。大田南畝の『三保の松』に〝卯月十二日、むかふ島にてはなしの会ありけるに、     それより松葉楼のがりまかりてかへりけるに……〟とある。これが焉馬の落し咄の会である。南畝はその後、同年七     月に身請けすることになる吉原松葉屋の遊女・三保崎のもとに通うのであるが……〉    ◯『江戸町触集成』第十一巻(近世史料研究会編・塙書房・1999年刊)   (文化十二年九月十一日付)   〝落噺会之儀、寛政九年巳年中和助事焉馬、料理茶屋平吉方借請、新作之落噺度々相催候ニ付、北御奉行    所様御沙汰有之、向後右躰之儀致間敷、料理茶屋ヘ席借申間敷旨御請証文被仰付処、年数も相立、殊ニ    近頃新作之落噺致候者多相成候ニ付、心得違之者有之趣ニ候間、已来落噺会不致様、名主支配限申付置、    肝煎名主は組合心付候様可申通、神田造酒右衛門殿被仰含候間、月行事持場所共行届候様御取計可被成    候、此段御達申候、以上     文化十二亥年九月十一日    十五番 月番〟