☆ 弘化三年(1846)
◯『藤岡屋日記 第三巻』p101(藤岡屋由蔵・弘化三年(1846)記)
〝十一月、此節専流行にて、おたふく・金太郎其外の面形、飴の中より出る、大坂下り細工飴売大勢出る
也、背中におかめの面付候、花色木綿の半天を着し、
船の中からおたやんがにこ/\笑てとんで出る、と云て売歩行なり〟
☆ 弘化四年(1847)
◯『事々録』〔未刊随筆〕⑥341(大御番某記・天保二年(1841)~嘉永二年(1849)記事)
(弘化四年・1847)
〝(正月)飴売に背へお福の面を染著し、飴の中からおたさんがにこ/\笑てひよりと出たといふて売る、
此頃先達て致仕隠居、太田備後守は老職の頃、浜松侯と聊あらそひありて致仕たりと風聞あり、今度隠
居登城にて再び君恩ありて、政事御内談も有べくやと風評、あめの中からおたさんといふを【アベノナカダ
チヲヲタサンガ出タ】太田の出られしといふなど、あらぬ事を例の民俗のかたり合イぬ〟
〈浜松侯は水野忠邦〉
◯『藤岡屋日記 第三巻』p105(藤岡屋由蔵・弘化四年(1847)記)
〝去年(弘化三年)中より大坂下り細工飴とて、大勢売来る也、花色の半天にお多福の面形を付、売歩行
ことばに、飴の中からおたさんがにこ/\笑てとんで出る、おたさんがいやなら金太さんにしよう、金
太がいやなら法界坊にしよう
右色々の面形、飴の切口より出る也
世の中の人はみんながうれしがる
阿部の中ヶ間に出る太田さん〟