◯『街談文々集要』p94(石塚豊芥子編・文化年間記事・万延元年(1860)序)
(「文化四年(1805)」記事「戯子徳治終」)
〝戯子大谷徳治、俳名馬十、道化方の名人なり、当七月十七日、上方ニおゐて死去す、戒名
徽徳俊芸信士【文化四丁卯年七月十七日】(紋所あり)
辞世 やまひにも身代りほしき切子哉
(贔屓連中が配った摺物にある追善句・過去の評判記記事あり、略)
(大谷徳次の肖像の模写あり、その中に「国政画」の落款。式亭三馬の画賛あり)
腹筋をよる/\度のしのび寐るにうき名は高くあらハれてポイ 式亭三馬〟