☆ 文化四年(1805)
◯『街談文々集要』p82(石塚豊芥子編・文化年間記事・万延元年(1860)序)
(文化四年(1805)「大女見世物」)
〝文化四丁卯二月比より、品川橋向ふ鶴屋といへる旅籠屋ニ、稀代の飯盛女出たり、出生は上総国小金村、
百姓新七娘つた、当卯二十三歳、身の丈六尺弐寸、此大妓を見んと、昼夜客のたへ間なく、鶴屋は給金
安く抱しうへ、大に繁昌せし故、大ニ利潤を得たり、此妓、後ニ大女淀滝と名乗、江戸中所々ぇ力持の
見勢物に出たり、予も十二月十七日、浅草新寺町柳稲荷向ふ中茶屋といふニて、愚父の肩にのせられ見
物す、最初、口上罷出、口上を述、大女淀滝義、支度仕升る内、樽の曲持御覧ニ入るよしを申、足にて
いろ/\の曲持をなす、此男ハ四十六七ニ相見へ、至て小兵なり、扨大女ハ舞台の左り【正面向ひ】の
方五尺余りの屏風の内ニて、化粧を仕舞、衣装を着替る、其節右の口上云の男、四斗樽にのりて衣紋を
揃へなどするさま、小兵にて格別大女に見ぇよし、夫より舞台ニ出て、見物に時宜する、其人体格好に
応じ、面部も面長ニて十人並の婦、舞台には米俵・釣かね石・碁盤などならべあり、を持。
(碁盤にて火を消す処の図および手形の図あり)
大女淀滝手形、手跡も拙なからず、扇面ニ書しを見し事あり〟
☆ 安政三年(1856)
◯『藤岡屋日記 第七巻』p153(藤岡屋由蔵・安政三年(1856)記)
◇見世物
〝(三月二十日より六十日間、於深川八幡境内、成田山新勝寺、不動明王并二童子開帳。日延十日)
右開帳参詣大群集也、日延有之、六月朔日迄、此節仮宅大繁昌致し、深川の潤ひ広大之事也、開帳奉納
物も多く有之候得共、是は番付に記し有之、境内見世物当も多く有之候得共、先荒増之分、表門に有之
候者、
一 八犬伝人形、招き人形、伏姫宮参り之処、表門入、橋渡り右手
一 生人形、招き人形、猿田彦にうずめ【いざなぎ/いざなみ】左り手
一 生人形、文覚上人荒行之処
一 曲馬 一 大女 一 蒸気船 一 名鳥等也〟
〝右見世物之大女
肥後国天草郡城崎村百姓大平娘
姉おまつ 十六 六尺八寸余 三十八〆目
中おたけ 十一 五尺七寸余 廿五〆七百目
妹なむめ 八才 五尺一寸余 十九〆八百目
木戸銭廿四文、廻り仕懸にて上り、上には牛二疋にて麦こがしの臼を挽居、三人兄弟の大女は、麦こが
しを廿四文より売也、衣服は赤き絹に松竹梅名前模様を付る也、面白くもなんともなき見世物なれ共、
開帳にて是計が大当り、外は残らずはづれ也、是時の仕合也〟