◯『藤岡屋日記 第四巻』p420(藤岡屋由蔵・嘉永四年(1851)記)
◇尾上松助逝去
〝七月三日、尾上松助死去致して今日葬送出るなり、菩提処、一向宗東派、今戸妙徳山広楽寺也。
右松助事は故菊五郎惣領に候処に、此度死去に梅幸・菊次郎も居りながら、追善手向の発句も出さず、
内証同様にて出し候事、なげかわしき事也、尤大出(ママ)になり候菊五郎の本葬さへ出さぬ事なれば、尤
の事に候得共、不人情の至りなりけり。
扨又八代目、死にもせぬに追善にて大騒ぎ致し、死たる松助は一向に沙汰も無之候故
死にもせぬ追善見ます大騒ぎこれは真事に音羽やもなし〟
〈この五月、八代目市川団十郎が突然死亡、それで追善の発句が配られるなど大騒ぎとなった。ところがその後、成田
不動尊の御利益があったかして忽ち蘇生した。結局興行を盛り上げるための趣向であったが、それに比べて尾上松助
の死亡に音沙汰なしとは、いかにも不人情ではないかというのである〟