◯『藤岡屋日記 第九巻』(藤岡屋由蔵・万延元年(1860)記)
◇尾上菊五郎逝去 p316
〝万延元申年六月廿八日
尾上菊五郎病死之事
釈菊憧梅碩(健カ)信士 猿若町二町目 四代目 尾上菊五郎 俳名、紅芹舎梅婦 五十三
辞世
数珠をおくおふぎも夏の名残哉
釈妙蝶貞現信女 同人妻 てう 四十九
菊五郎、摂州浪花の産にして、中村歌六の門弟にて、初名中村辰蔵と言、又中村歌蝶と改め、天保二卯
年九月、三代目尾上菊五郎養子と成、尾上栄三郎と改め、家号音羽屋、俳名栄枝、同年十一月市村座に
て出勤す、是江戸初舞台なり、弘化三年正月、尾上梅幸と改め、安政三卯年九月、尾上菊五郎と改名し、
大坂より下り、同六未年養子中村延雀へ梅幸を譲り、梅婦と改るなり、然処、当万延申六月大暑之時候
に当り伏る処に、妻てう義、平常睦じく看病致し居り候処、今廿八日暮六ツ時、菊五郎息引取候に付、
てう義愁傷致し、水にて口をしめし、自分も漱ひ致し、湯呑にて水一盃のみて、其儘打伏し候に付、側
に附居候女ども、是は看病のつかれ可成と介抱致し候処に、睡るが如く息たへ死し候よし。右に付、
両人を浅草にて火葬に致し、一ツ棺に入れ、白浅黄の無垢二枚かけて、今戸一向宗広楽寺へ一所に葬な
り〟
「尾上菊五郎」(死絵) 三代目歌川豊国画(早稲田大学演劇博物館・浮世絵閲覧システム)