◯『藤岡屋日記 第三巻』p172(藤岡屋由蔵・弘化四年(1847)記)
〝七月十五日より、尾上菊五郎一世一代
【東海道五十三次】尾上菊五郎一代噺 二日替り
父松緑三十三回忌に相当り候に付、十三ヶ年以前当芝居にて相勤候五十三次の狂言、古今稀成大入大繁
昌仕候間、右之狂言を一世一代に仕り、且又私家に伝り候三幅対と申狂言未だ相勤不申候間、右之内一
幅を追善として差加、是迄の五十三次は一日に致して、悉く御覧に入難く、御慰みも薄く候へば、此度
は二日替りに仕、初日京より大井川迄大道具大仕懸に仕、後日は藤枝宿より日本橋迄取揃、怪談大仕懸
御覧に入候(以下略)〟
〈嵐団七、菊五郎より是非にと請われて幽霊役を引き受けしが、衣裳を見てはますます気がふさぎ、ついに病気になる
という怪異記事が続く〉
◯『藤岡屋日記 第三巻』p491(藤岡屋由蔵・嘉永二年(1849)記)
◇尾上菊五郎逝去
〝閏四月廿四日
尾上菊五郎事、大川橋蔵義、先達て上坂致し居候処に、今度病気に付、江戸表なつかしく、何卒出府仕
り度存じ立、病中ながら大坂出立仕候処に、旅中にて病ひ重りて、遠州掛川宿の旅宿に於て今日死去致
し候、行年六十六歳、珍らしき銘人也、然るに、一生涯覚へ得たる処の怪談蝦蟇の妖術にてのたり出し、
雲を起して江戸へ一飛に致す事もならずや、さぞかし一念がこはだ小平次の幽霊となつて、どろ/\ど
ろにて下りつらん。
法号 正定衆釈菊芳梅観信士 江戸山谷一向宗東派 妙徳山広楽寺
但し、掛川宿にて火葬に致し、白骨は江戸表へ持来る也。
辞世 水勢を留んとすれば流れけり 大川橋蔵
大海を渡りし術も尽はてゝ大井川さへ渡られもせず 遅道〟
「尾上菊之丞」(死絵)(豊国三代)画(東京都立中央図書館・貴重資料画像データベース)