◯『還魂紙料』上之巻(柳亭種彦編 文政九年(1826)刊)
(国立国会図書館デジタルコレクション)
〝因幡が浄瑠璃
寛文の頃 因幡といひし吉原の遊女よく浄瑠璃をかたる 是女の浄瑠璃をかたるはじめなりとぞ
『むかし/\物語』【享保十八年 新見老人記】に曰「昔は客を催し招請の馳走に謡・太鼓・浄瑠璃・
三味線もその役者か座頭などに申つけ 是を聞くことを専らとして 自分としてその芸をすることは稀
なり 殊に女中は猶もつて聞く事のみにして 自分に浄瑠璃・三味線はならず 吉原に因幡といふ遊女
何として歟(か)おぼえけん 頼光山入一段 美人揃(ぞろへ)の道行一段 地蔵の道行一段 大塔宮の道
行一段 都合浄瑠璃四段おぼえてかたるを 女にしては名誉なることとて 江戸中に沙汰せり 云々」
(中略)
『吉原讃嘲記』一名を「時の太鼓」といふ 刻梓の年号なしといへども 寛文七年の作なること巻中に
証あり
いなば 江戸丁 助左衛門内
此きみはつくりかつこうなみよりもあしく みめもまたよからず 中々此十人(注1)の内え入べきには
あらねども みめすがたきだてかゝりは人のすききらひにて わが目壱つにさだめがたし さるにより
此いなばをいるゝは いなばはあふみかゝりの上るりよしはらの元祖にして 世にあふみぶしのおもし
ろきといふも 此いなばよりおこれり たかきもいやしきも おひたるもわかきも 此いなばが上るり
をあしといふ人なければ けつくまへの九人の女郎よりはまさるべきんり よつて十人の女郎をえらび
てかうしの十てつ(注2)と申はんべる
たちわかれいなばの山のみち行をかたるときかばまたかへりこん〟
〈注1「十人」とは格子女郎(大夫に次ぐ位)十人。注2「かうしの十てつ」とは「格子(孔子)の十哲」〉