◯『三養雑記』〔大成Ⅱ〕⑥77(山崎美成著・天保十年序)
〝英一蝶女達磨の画
世にあまねく、画がきつたふる女達磨といふは、一蝶がかきはじめたりとぞ。そのかみ、新吉原中近江
屋の抱に、半太夫といふ遊女ありしが、後に大伝馬町の商人へ縁づきたり。その家に人々あつまりて、
何くれとなくものがたりの序に、達磨の九年面壁のはなしをしいだしけるに、かの半太夫きゝて、九年
面壁の坐禅は、何ほどのことかはある。うかれ女の身のうへこそ、紋日もの日の心づかひに、昼夜見せ
をはること、面壁にかはることなし。達磨は九年、われ/\は苦界十年なれば、達磨よりも悟道したり
とて笑ひけるとぞ。このはなしを、英一蝶がきゝて、やがて半身の達磨を、傾城の顔に絵きたるが、世
上にはやりて、扇、うちは、多葉粉入、はしらかくしなどのかきて、女達磨といひけるとかや。市川栢
筵が、その画の讃に、そもさんか是こなさんは誰と詞書して
九年母も粋よりいでしあまみかな
といふ句をしけるとぞ。俳人素外が手引艸に
九年何苦界十年はなごろも
といふ祇空が句あり〟
〈『俗事百工起源』(宮川政連・慶応元年(1865)著)の「女達磨のはじまり」も同文。ただし引用は『愛閑楼雑記』
なるもの。「日本古典籍総合目録」に『愛閑楼雑記』の記載なし〉