◯『世のすがた』〔未刊随筆〕⑥39(百拙老人・天保四年(1833)記)
〝寛政の末までおんぎやうとて、其形願人坊主にて、頭を白木綿にて行者包に結ひ、白き木綿の単物の短
きを著し、下は白木綿にて女の下帯の如きものを結びて、くびへ大山不動明王と書し箱をかけ、手に鈴
を持、足早に往来す、子供むらがりて、マカシヨ/\といへば、墨摺の小き化物絵など七八枚まきちら
して走り行、又銭をあたふれば其多少にしたがひて彩色摺の絵を出す、子供歓びて多く銭をあたふ、其
絵多くは天満天神の像なり、又銭をあたへし門にて鈴を鳴らし何か唱へて過、十月の初より来り極寒に
至りてやむ、其日々廻りし所大業満願候とて、袈裟衣を著し、修験者の体にして、紙袋に錦絵を取そへ
て持来り米を貰ふ、其事年を追て盛なりしが、何ゆへかはしらず、町々にておんぎやう無用といふ札を
張出す、それより葛西金町半田稲荷といふ物もらひに変じて、赤き木綿の単衣を著し、頭を白き木綿に
て包み、背に赤きくゝり猿を負、小さきもみの幌を持、鈴をならし、疱瘡も軽い、はしかも軽い、信心
被成れ、葛西金町半田の稲荷といひて、其間に色々の事をうたひながらをどる。銭をあたふれば箱より
土の人形など出して子供にあたふ、是も歳末に至り袋を持参して米を貰ふ〟