◯『大田南畝全集』「書簡」⑲279(蜀山人詠・文化十二(1815)年三月二十六日付書簡)
〝詩は五山役者は杜若傾はかの芸者はおかつ料理八百善
五山 菊地左太夫、名桐孫、字無絃、号五山、有五山堂詩話八編、住霊岸島坂本町
杜若 おやま若女形、岩井半四郎
かの 私衣(ナレギヌ)事【秘伝故名ヲアラハサズ】
遊女私衣、新吉原江戸町二丁目、若菜屋、初百川楼娘、名そよ
歌妓(ゲイシヤ)おかつ 駿河町、越後屋隣住、妹に梅、ふさ、其外多し。一年纏頭凡五百金
八百善 八百や善四郎、千寿に住、諸侯之仕出しをもいたし日々来客不絶、一年勘定三千六百七金、料
理屋多しといへども此上に出るものなし〟
〈蜀山人の狂歌は当時全盛を誇った詩家・役者・遊女・芸者・料亭を詠み込んだもの。駿河町の売れっ子芸者お勝の年
間祝儀が五百両とは驚きである。蜀山人も酒席にしばしば呼んで贔屓にしていた芸者である〉