◯『武江扁額集』(斎藤月岑編・文久二年(1862)自序)
◇天明七年(1787)五月奉納
(画題記さず。ただ月岑の『武江年表』天明七年五月の記事には「頼政猪早太鵺退治の図」とある。い
わゆる「源三位頼政鵺退治」である)
落款 〝天明七丁未夏五月穀旦 屠龍翁高嵩谷藤原一雄敬画〟
識語 「浅草寺観音堂所掛」「嘉永五年子秋写之」
「石塚豊芥の話に、北尾蕙斎、此額を見て、頼政の右乃手、少々短きとて、嵩谷に告ければ、よく見出
したりとて、うべなはれけるとぞ」
「嚮に文鳳堂が弆蔵せる細井氏の絵馬文車といへる随筆を見たりしが、此額の評判を載せたり、惜ひ哉、
うつさずしてかへしたり。他日ふたゝひ借得てしるし願ふべし」
〈石塚豊芥子は蔵書家・雑学者。月岑とは親密な交友関係があり、月岑の『増補浮世絵類考』は豊芥子の所蔵する渓斎
英泉の『無名翁随筆(続浮世絵類考)』を基に増補してなったものである。この額は嵩谷五十八歳の天明七年(1787)
に奉納されたもの、この北尾政美とのエピソードはその頃、政美二十四歳頃のものであろう。嵩谷は親子ほども年齢
差のある政美の指摘を認め受け入れたのである。文鳳堂は江戸の書肆で山城屋忠兵衛。「細井氏の絵馬文車」は国学
者・細井貞雄の『文車集』であろうか〉
『武江扁額集』「頼政猪早太鵺退治の図」高嵩谷画(国立国会図書館「近代デジタルライブラリー」)
〈この「頼政猪早太鵺退治の図」について東随舎なる人物は次のように批評している〉
画難坊、絵を論ずる事(『古今雑談思出草紙』(天保十三(1842)序)所収)