◯『江戸名物百題狂歌集』文々舎蟹子丸撰 岳亭画(江戸後期刊)
(ARC古典籍ポータルデータベース画像)〈選者葛飾蟹子丸は天保八年(1837)没〉
〝納涼
毛せんのもみぢもめだつすゞみ舟かよふ誰鹿(スイカ)の角の三股(画賛)
うたひ女のひたひの不二の根颪に時しらぬまですゞむ家根舟
ものゝふの鎧のわたし羽織さへ風のいる矢に母衣をおひけり
薄ころも背中に汗の雲の峯崩すゆふべの風ぞすゞしき
すゞしさは業平菱の染ゆかた河内もめんにかよふゆふ風
すゞしさに秋のかよひて此ころのあつさは留守の川添いの宿
角田川団扇も風に吹あげて月とみまがふ夕すゞしき
すゞしさや昼のあつさも風にきえて行衛もしらぬ夕立の雲
なつの日の長きも持し扇をもわすれてすゞむ川添のちや屋
今までのあつさ片よる竹床机ひつくりかへすほどにすゞしき
あつさをも水にながして盃に月をひたせる舟ぞすゞしき
永代の橋辺の舟のすゞしさは夏にわかれの渕とおもひつ
あつさをばうばひとられて嬉しさは海賊橋の夏の夜すゞみ
うち水に月の宿りてすゞしさは柄杓持つ手もしばしたゆたふ
〈隅田川 屋根船 うたひ女(芸者) 鎧の渡し 業平菱の染浴衣 団扇 打ち水 三つ股(三又) 永代橋 海賊橋〉
◯「夏の思ひ出」今泉雄作(『江戸時代文化』第一巻第七号 昭和二年八月刊)
(国立国会図書館デジタルコレクション)
(涼み)
〝大川は実に賑かであつた。川開の花火は別として涼みの人出は毎晩であつた。陰芝居、八人芸、手品、
人形の軽業、咄家なぞが船を借りて川へ出で、涼み宿船のそばへつけて演芸した。陰芝居は船のまはり
へ幕を張り、その中で鳴物入りで声色をつかひ本当の芝居の様にやつた。只の者でもそれ/\趣向を凝
してひやうきんな事をして出た。船の上で踊つてる踊り自慢なものも居た。義太夫のすきな者が船を借
り受け、三味線をやとつて、船の真中へ見台を置いて、うなつて居たのもあつた。これなぞは、見よ、
聞けかしとの心懸けからである。或は、咄家、大鼓持なぞを同船させて出かけたものもあつた。馬鹿囃
子なぞは人の邪魔をしたものだ。私なぞは清楽をやつた。川は船で一ぱいで、船から船へと飛んで川を
渡り切る事も出来た〟