◯『街談文々集要』p67(石塚豊芥子編・文化年間記事・万延元年(1860)序)
(文化三年(1806)「都婦商錦絵」)
〝文化三丙寅五月、糀町平川町三丁目に、池田といへる錦画売見世出たり、娘は十七八歳ニて、其の名を
さとゝいふ、容義うるハしくして、衣類甚だ異様なり、緋ぢりめんの下帯ニ、縫などして着し、はなや
かに粧ふて、見世ニ出て商ひをする、此母も同さまにて、ともに見世ニて手伝ふて居る、錦画を求る人、
又往来の人も立どまり、見世先キ群集して、恰市のごとし、江戸中殊の外なる評ばんニて、天神の縁日
など夕方よりやすみたり、此池田親子三人の者ハ、皆上方者なり、去る丑年の頃より、京橋銀座三丁目
ニ見世を出しける、此節も上方女なれば、皆珍しく人々群集せしが、当三月四日類焼後、糀町へ引移り
し也、此後神田新石町ぇ引越し、其後いかゞなりしや〟