☆ 天明二年(1782)
◯『摂陽奇観』巻三十六ノ七 p12 浜松歌国編(『浪速叢書』第四 所収)
(九月立役名人中山文七一世一代名残狂言)記事
〝浪花松屋町に艸紙屋鬼吉といふもの文七の見へ似面画を初めて世に弘む〟
◯「川柳・雑俳上の浮世絵」(出典は本HP Top特集の「川柳・雑俳上の浮世絵」参照)
1 反古張やにづらで蛍追つかける「柳多留28-26」寛政11【川柳】
〈渋うちわや似顔絵のうちわで蛍狩り〉
2 似面絵の論は団扇のけんくわ也「柳樽57-12」文化8【柳多留】
〈贔屓役者の優劣論、似顔の団扇を煽って喧嘩沙汰に〉
3 しつとりと似顔のしめる蛍狩 「柳多留57-20」文化8【川柳】
4 涼台似顔の邪魔にしぶ団扇 「柳多留65-15」文化11【川柳】注「娘達の中へ梅干婆」
〈役者の似顔絵が娘の譬喩〉
5 似顔画き羅漢の横つらに住み「柳多留108-11」文政12【川柳】
〈羅漢寺は本所五ツ目。亀戸に転居するまえの国貞である〉
6 似面絵を引張凧の奥女中 「柳多留134-15」天保5【柳多留】
〈男子禁制の大奥に役者似顔を持ち込むとこの騒ぎ〉
7 出目に彫せた海老蔵の似顔面「柳多留141-6」天保6【柳多留】
〈七代目市川団十郎、天保三年、海老蔵を襲名〉
☆ 文化八年(1811)
◯『梅由兵衛紫頭巾』合巻(山東京伝作 歌川豊国画 鶴金板)
(早稲田大学図書館・古典籍総合データベース)
(前編見返しに作者・画工・板元の句あり。豊国の句
〝似顔絵ハかほを似するのミにあらず (歌川豊国画)
こゝをか(画)けといハぬばかりや梅のふり 一陽〟
〈「梅のふり」とは舞台上の梅の由兵衛の身振りをいう。役者似顔絵とは単に顔を似せるに止まらない。役者は見得
を切るなどしてここを画けという瞬間を見せる。それを見逃さず捉えて表現してこそ似顔絵というものだ、と豊国
はいうのであろう。一陽とは豊国の俳名であろうか〉
☆ 嘉永六年(1853)
◯『傍廂』二篇〔大成Ⅲ〕①36(斎藤彦麻呂著・嘉永六年(1853)序)
〝似顔絵は、いと古くよりあり。文徳実録に「百済の朝臣河成、宮中に在り。或人をして従者を喚ばしむ。
或人辞するに容顔を見ざるを以てす。河成一紙を取りて、其の形体を図す。或人遂に験(シルシ)得たり」
とあり。源氏物語末摘花の巻に、髪長き女をかき給ひて、鼻に紅をつけて見給ふに云々。是は常陸姫宮
の似顔をかき給ひしなり、後世にいたりて、菱川師宣、西川祐信など名人なり。其のち勝川春章、鳥居
清長、また近来歌麿、豊国などもよくかけり。当時は若き男女などの姿をかくに、肩をすくめ、肘を膚
によせて、寒げに縮みたる姿にかけり。さる故に、衣冠の官人も、甲冑の武士も、年若く容顔よきをば、
皆さるさまにかけり。寒げに縮みあがりて、身すぼらしく見ゆるがはやりものなり〟
〈この「似顔絵」は、末摘花の例のように容貌の特徴を強調して描いたものや、師宣以下の浮世絵師たちようにその当
時持て囃されたような容貌を描いたものも含むようだ。もちろん春章や豊国のように役者の容貌を写実的に描いたも
のは云うまでもない。「寒げに縮みたる姿」とは、英泉や国貞など幕末の浮世絵師によって盛んに描かれた猫背のよ
うな姿態を指すのだろうが、これも文脈上からいうと「似顔絵」に含まれるのであろう。また、祐信、清長、歌麿の
名まで挙げているところから推測すると、当世の風俗を写した人物画はみな「似顔絵」ということなのかもしれない〉