◯『藤岡屋日記 第一巻』p480(藤岡屋由蔵記)
(天保三年(1832)五月五日、鼠小僧次郎吉捕縛)
〝八月十九日御仕置 異名鼠小僧事 入墨無宿 次郎吉 辰三十七
於浅草、獄門
(中略)
右次郎吉事、深川近辺徘徊候由、博奕渡世致し罷在、俗に鼠小僧と申触し候盗賊にて、廿七才の頃より
盗賊相働、所々屋敷方奥方并長局、或は金蔵等へ忍び入候、盗先は加州の外諸侯へ忍び入候得共、年久
敷相立候分は不分明に付、聢と相覚不申由にて、申立候大名方九十五ヶ所の内には三四度も忍入候所も
有之由、度数の義は百三十九ヶ処程に相覚へ、所々にての盗金相覚候分、凡三千三百六十両余之処迄は
相覚候旨申立候、右の外御旗本衆は三軒の趣申立候。(以下略)〟
〈鼠小僧次郎吉は、約十年前から、歴々の屋敷・奥方そして大奥、金蔵、覚えているだけで、九十五箇所、凡そ三千三
百六十両余の盗みを働いた〉
◯『馬琴日記』巻三 p176(天保三年八月十九日記)
〝当五月上旬、召とられ候夜盗鼠小僧次郎太夫(ママ)、今日刑罪、江戸中引まハされ候ニ付、処々見聞群集
のよし〟
◯『事々録』〔未刊随筆〕③218(大御番某記・天保二年(1831)記事)
◇鼠小僧
〝七月(ママ)十九日御仕置済の盗賊次郎太夫事次郎吉、他より是を鼠小僧と称ス、実に忍術に富たる梁上の
君子也、衣類器財を盗まず、黄金宝貨かすめ取る、貧家ハ勿論、小富をうかゞはず、大諸侯の奥へ忍び、
宝蔵をあばき、市中名ある富商に入る、手下を遣はす、独歩にて多く宝櫃を空とし、錠はもとの如くし、
時過て人の知る事多しとぞ、御本丸営中は言はず、加州へは己か姪の奉仕する物から、あへて顧り見ず、
か程の大賊も天網もらさず、時来り松平宮内少輔の深殿の天井に、日頃に大胆をもて深更をまつうち、
眠りにつき大なる鼾よりしてあやしめられ、堅士捕者の達者や有けん搦捕られたり、次郎太夫常は八町
堀に住で道具商売すると雖、彼の賊ならんとは思はれず、平生一同町人なりとぞ〟