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浮世絵文献資料館
浮世絵師総覧
☆ ねぼけせんせい 寝惚先生
(大田南畝・四方赤良・蜀山人)
浮世絵事典
◯『秀鶴随筆』⑧23(中村仲蔵著・天明七年(1787)五月下旬記)
〈大坂の正月興行「義経千本桜」は中村仲蔵の狐忠信と市川八百蔵の静が評判を得て大当たりとなった。この仲蔵の狐忠 信には、江戸でも異様なほどの関心があったらしく、四方赤良はわざわざ次のような詞書と狂歌を仲蔵のもとに届けて いた〉
〝江戸
ねぼけ先生
様より参候迚、大坂御贔屓様より御届被下候、 右江戸に名だゝる中村秀鶴、難波の国にありて、千本桜きつね忠信とかや、わざおぎ侍りしに、見る 人あしがきのごとつどひ、うらくつがへりきと聞、よみて遣しける 四方赤良 評判もよし野花の江戸ざくら京大坂のひと目千本〟
〈当時の四方赤良は「寝惚先生」の名称の方が一般的だったのかもしれない〉
◯『甲子夜話2』巻之二十七 p171(松浦静山著・文政六年(1823)記) 〝
寝惚先生
は明和の頃より名高く、世にもてはやされしこと言に及ばす。予も先年鳥越邸に招て面識とな れり。夫より狂歌など乞(コフ)とて、文通往来すること久し。今茲(ココニ)癸未の四月三日、劇場にその妾 を伴ひゆきたる折から、尾上菊五郎と云(イヘ)る役者、寝惚が安否を問(トヒ)来(キタ)れるに〔このおき菊 五郎、名護屋山三郎と云を扮せし折なり。菊五郎俳名を梅幸と云ふ〕即(スナハチ)狂歌を書て与ふ。 梅幸が名護屋三本傘はふられぬと謂ふためしなるべし これより夜帰り、常の如くして快語してありしに、翌四日は気宇常ならずと云しが、又快よく、ひらめ と云魚にて茶漬飯を食し、即事を口号し片紙に書す。 酔生将夢死 七十五居諸 有酒市脯近 盤飱比目魚 是より越て六日、熟睡して起ず。その午後に奄然として楽郊に帰せりと聞く。この人一時狂詩歌の僊な り〟