◯『街談文々集要』(石塚豊芥子編・文化年間記事・万延元年(1860)序)
(文化六年・1809)
◇「芝翫之落書」p148
〝(文化六年)当九月、堺町中村座にて、中村歌右衛門、藤屋伊左衞門の役、大に不出来なれバ、何方ニ
て作りたるか、捨札の趣
当時中村座相勤 歌右衛門 巳三十五才
此もの儀、先年玉屋新兵衛役相勤候節、手鎖申付候、然る処猶又、当九月中、藤屋伊左衞門の役義相
勤候段、其身ノ不男をもかへりみず、重々不届ニ付、獄門庄兵衛ニ行ふもの也。
巳九月
是ハ先達下りたる節、玉屋新兵衛の狂言ニて、人をあやめ手鎖ニなりたる趣向、当九月伊左衞門の跡
ニて、黒船忠右衛門、助高屋高助・奴の小万、菊之丞・獄門庄兵衛、歌右衛門なれバなり、歌右衛門、
此頃次第ニ評判おとろへたり。
又一書ニ
此者、板東三津五郎のしのぶ売の狂言を盗とり、其上ふじや伊左衞門と改名いたし、多く金銀を遣
ひ捨候談、不届至極ニ付、下同〟
◇「妙見宮再建」p158
〝(文化六年)十月十五日、深川浄心寺地内有之候七面堂ハ、前の中村歌右衛門建立せしが、大破に及び
候ニ付、当中むら歌右衛門壱人施主にて、新規再建成就し、今日大供養なりとて、中村歌右衛門・関三
十郎、中村東蔵其外、門弟皆々、上下を着し、門内より本堂迄の間左右に矢来を結び、矢来の外へ桟舗
を掛たり、二畳程の一ト間、金二歩ヅヽにて貸したり。
惣供養とて、芝居役者之子供十五童子の衣装にて罷出、ねりくようありしト云々。
深川仲町辺、日本橋、小田原町其外よりも積物数多多せしト云々、正覚寺橋より高橋迄の間、見物の人
大群集なり。
此節歌右衛門の評ばん、芸の善悪に拘わらず、江戸中の人々贔屓したり、江戸にて出世せし近年の上
手なり〟