◯『四方のあか』〔南畝〕①144(四方赤良賦・天明三年六月賦)
「向島賦」
〝狂歌湧くが如し角田の汀 短冊頻に飛ぶ秋葉の庭
向ふ島の風流此れより始る 武蔵屋の額権三が亭
はや牛もをそ牛島もよどみなくいけすの鯉にこがれよる船〟
〈武蔵屋は三囲稲荷にほど近い向島牛島の料亭。鯉の生け簀料理が評判であった。この日の酒宴には、四方赤良(大田
南畝)のほかに、腹唐秋人・酒上不埒(恋川春町)・地口の有武という面々。彼らの狂歌は以下の通り〉
〝いつみてもけしきはたれかあか味噌の鯉と恋とにさしむか島 腹から秋人
みめぐりへたえず舟のつき雪や花のお江戸のまんむかふ島 酒上不埒
牛島の亭主のすきの赤味噌は時をゑぼしの鯉の包丁〟
◯『きゝのまに/\』〔未刊随筆〕⑥72(喜多村信節記・天明元年~嘉永六年記事)
(寛政十一年・1799)
〝二月十五日より三囲稲荷開帳(中略)参詣群集せり【大川橋往来多く、三月十五日には渡銭三十八貫文
之在り、十六日には二十貫余と云、武蔵屋は金二十六両ありしとぞ】〟