☆ 嘉永六年(1853)追加 <十月以降>
参考史料(無断出版および密売に関する文書)
◯『大日本近世史料』「市中取締類集 二十一」(書物錦絵之部 第二七三件 p167)
(絵草紙掛名主の町年寄・館市右衛門宛伺い書。「当十月中とあるから」嘉永六年十月以降の文書)
〝一 地本草紙問屋仮組之内、禁忌之品無改ニて隠売買致し候もの有之候間、以来此もの共総て無改之品
仕入隠売買致し候品、仲問行事共・私共取調申上候ハゝ、以来仕入御差留、仮組引除被仰付被下置候
様仕度、此取締方厳重ニ相立不申候由ては、一統右ニ相泥麤漏ニ成行可申候、
〈以下、禁制品の無断出版や密売をしていた板元のリスト〉
当時仮組之内 浅草新旅籠町代地(佐野屋)貞吉
此貞吉儀、小本日蓮記標題ニて絵柄不宜、并絵本太閤記ニ類候絵柄認、無改売買致し候、
〈佐野屋貞吉板『日蓮記』。絵柄が『絵本太閤記』に似て宜しくない。無断出版。画工不明。処分不明〉
橋本町弐丁目 安兵衛店(園原屋)正 助
此正助は、七嶋全図隠仕入売買致し、当時御吟味中ニ御座候、
〈この「七嶋全図」とは「増訂伊豆七島全図」。園原屋正助、密売が発覚して吟味中とある。『享保以後大阪出版書籍
目録』の「絶版書目(売買差留開板不免許)」には「嘉永六丑年十一月 増訂伊豆七島全図 絶版 売買禁止」とあり〉
長谷川町 甚蔵店 (笹屋)又兵衛
此もの儀は、当時突留候品は無之候得共、好色本致隠売候、
〈笹屋又兵衛。具体的な作品名はないが、好色本(春本)密売の嫌疑がかかる〉
霊岸嶋川口町 忠次郎店(志摩屋)鉄 弥
此鉄弥儀は、当時突留候品は無之候得共、時之雑説致隠売候、
〈志摩屋鉄弥。「時之雑説」の内容がはっきりしないが、判じ物の類をいうか。時節の雑説を流布する作品の密売〉
八町堀水谷町壱丁目 新吉店(松坂屋)金之助
此金之助儀は、大日本一之宮記と申中本ニて、当時御吟昧中ニ御座候、
〈『大日本一之宮記』は未詳。松坂屋金之助は板元か。吟味中〉
小伝馬町三町目 弥兵衛店 (本屋)久 助
久助儀は、御大名席順付ニて、当時御吟味中ニ御座候、
〈本屋久助板。「御大名席順付」とは大名や旗本が将軍に拝謁する際の順番や控席を記したもの。吟味中〉
北嶋町 和吉店 (松坂屋)菊次郎
諸家陪臣鑑・御鎗早見・御大名席順早見ニて、当時御吟味中之上、御大名御行列付隠彫売買仕候、
〈上記はいずれも大名に関する出版物。松坂屋菊次郎、無断出版の上密売。吟味中〉
甚左衞門町 弥七店 (佐野屋)富五郎
此富五郎儀ハ、江戸砂子細撰記と申小本出板致し、当時御吟味中ニ御座候、
〈佐野屋富五郎板『江戸砂子細撰記』吟味中。『藤岡屋日記』に同本に関する記事が出ている。この項の最後を参照の
こと〉
新右衛門町 惣兵衛店(八幡屋)作次郎
此作次郎儀、乗合船雑説を可生絵柄之下絵差出候間、当十月中被仰渡後、右体不心得ニ付、私共方え留
置申候、
〈八幡屋作次郎が改掛に出した「乗合船」の下絵、浮説が立つような絵柄なので留め置くという。「当十月中被仰渡」
とは、この十月、町年寄・館市右衛門が「時之雑説又は絵柄不分様相認、人々ニ為考買人を為競候様之類」の絵につ
いては改を徹底するよう、絵双紙掛名主に通達したことを踏まえていうのであろう(『大日本近世史料』「市中取締
類集 二十一」(書物錦絵之部 第二七〇件 p152)それが名主を通して版元にも伝わったはずにもかかわらず
「雑説を可生絵柄之下絵差出」したのはけしからんというのである。出版不許可〉
地本草紙問屋 馬喰町弐町目 久兵衛店(山口屋)藤兵衛
此藤兵衛儀は、旧来之問屋ニて、此度大江山之錦絵下絵差出候処、異形之図ニて買人を為競候様成絵柄
ニ付、私共方え留置申候、当十月被仰渡も有之処、余不心得ニ御座候〟
〈山口屋藤兵衛。前項同様、競って買わせるような異形の絵柄を改に出すとは不心得だとして、改掛名主が留め置くと
したのである。大江山の錦絵とは源頼光と四天王の酒呑童子退治を指すと思われる。この図柄は一勇斎国芳の「源頼
光公館土蜘作妖怪図」(天保十四年刊)以来、判じ物の代表例のように見なされていたであろうから、絵双紙改掛が
神経質になっていたのであろう。結局、出版不許可。なお「当十月」の通達とは前項記事参照〉
参考資料『【江戸砂子】細撰記』
◯『藤岡屋日記』第五巻 p291(藤岡屋由蔵・嘉永六年四月記事)
〝【江戸砂子】細撰記
是は□(ママ)・歌読・誹諧・狂歌・筆学・講釈・咄家・料理茶屋・菓子之外、食類吉原細見に拵へ候本也。
丑の春改正
作者は誹諧師白樹らで、八丁堀栄吉と申者、本を拵へ、江戸中名前を出し候者より入銀二百文取、本出
来致し、一冊宛配り、四両五分宛取候也。
右種を売本に致し候板元甚左衞門・信のや(ママ)富五郎、重板は釜藤名代にて、実は品川や久助板元也。
四月廿五日、本板取上げ、懸り名主福島三郎右衛門、北御番所懸り、二十七日、初呼出し、板元手鎖、
伊勢屋宇助・品川屋久助・家主預け也。
四月二十五日、白樹・栄吉・釜藤、出奔也〟
〈「日本古典籍総合目録」には『江戸細撰記(当代全盛江戸高名細見)』とある。江戸の名物を「歌読・俳諧~」以下
「菓子・食類」に至るまで、吉原細見の体裁で配置した案内書。浮世絵関係では「豊国 にかほ(似顔)国芳 むし
や(武者)広重 めいしよ(名所)」のように、絵師とその得意なジャンルを、遊女と禿(かむろ)名に擬えて記し
てる。俳諧師白樹の趣向で板元は魚屋栄吉(魚栄)。名前を出した先から200文の紹介料を取ったとある。これを売
本としたのが佐野屋富五郎。そのほか品川屋久助から重版(無断複製)が出た。本および板木は没収。板元佐野屋は
手鎖。伊勢屋、品川屋は家主預け。白樹、魚栄、釜藤は出奔したとある。『藤岡日記』には四月の出来事としてある
が、『大日本近世史料』の史料は、嘉永六年十月以降のもので「吟味中」とある。このあたり時系列に問題があるが、
取りあえず史料としてあげておく〉