◯『江戸名物百題狂歌集』文々舎蟹子丸撰 岳亭画(江戸後期刊)
(ARC古典籍ポータルデータベース画像)〈選者葛飾蟹子丸は天保八年(1837)没〉
〝水売
いく夏もこゝろかはらず売人は何所の野中の清水なるらん
水売は月の歩の大皿にすゞしく見する星のしら玉
水よりの見世のかざりのはなれ業みする仕かけも己がからくり
人の腹ひやすほど猶我はらはあたゝま(る?)らんおもふ水うり
生ぬるき水道の水は打すてゝ江戸堀ぬきの水売のこゑ
えのはゐ?にむかふこゝちはせられけりやうもとめたる江戸の水売
あつき日をしのぐ薬は雪の葛匕(さじ)かげんしてのますみづ売
三日月の匕も茶わんにしら玉の星を三ツ四ツそふる水うり
うつむけし茶わんの形の不二に似て高くて水のうれる大江戸
月かげを桶にうつしてしら玉の星をくみ出す辻の水うり
水売の日かげ/\とまはれども朝㒵茶わんなどはつかはず
むさし野は江戸になりても夕立の雨に軒ばを逃るみづうり
命なり水の売人も辻がはな染るばかりに汗やしぼらん
しら玉の星くみ込てみづ売の茶わんの月のひかりてりそふ
うりきつてかへる水屋は水よりも銭のなみまで重たかりける
こころよやひる寝のゆめのうき橋の下をながるゝ水うりの声(画賛)〟
〈白玉(星) 茶碗(月)〉
〝白玉餅
山水のけしきをみする水うりの瀧にうたするしら玉の餅〟
〈水売りの冷たい水に添える白玉餅〉
◯『近世風俗史』(『守貞謾稿』)巻之六「生業下」①290
(喜田川守貞著・天保八年(1837)~嘉永六年(1853)成立)
〝江戸にありて京坂になき陌上の賈人
冷水売り(図版あり)
夏月、清冷の泉を汲み、白糖と寒晒粉(カンザラシコ)の団とを加へ、一碗四文にて売る。求めに応じて八文・
十二文にも売るは、糖を多く加ふるなり。売り詞「ひやつこひ/\」と云ふ〟
◯『絵本風俗往来』上編 菊池貴一郎(四世広重)著 東陽堂 明治三十八年(1905)十二月刊
(国立国会図書館デジタルコレクション)(46/98コマ)
〝六月 白玉水うり
白玉を紅白に製し、瀬戸のうつくしき鉢に盛り、砂糖を皿に山の如く盛あげ、真鍮の朝顔形の水呑みを
光りかゞやかせ、絵灯籠の彩色見事に、鬼灯をつりし荷(になひ)をかきし男、いきほひよく向鉢巻して
「エひァら ひァこィ ひァら ひァこィ」と呼びつゝ売りあるくなり、又町々の木戸際にも白玉水の
定店出づ、此の店は腰掛の台などすゑ、葭の日覆(ひおひ)など出来たり〟
〈鬼灯はホウズキ〉
◯「江戸か東京か」淡島寒月著(『趣味』第四巻八号 明治四十二年八月)
(『梵雲庵雑話』岩浪文庫本 p33)
〝明治三、四年までは、夏氷などいうものは滅多に飲まれない、町では「ひやっこい/\」といって、水
を売ったものです。水道の水は生温(なまぬる)いといので、堀井戸の水を売ったので、荷の前には、白
玉と三盆白砂糖とを出してある。今の氷屋のような荷です。それはズット昔からある水売りで、売子は
白地の浴衣、水玉の藍模様かなんかで、十字の襷掛け、荷の軒には風鈴が吊ってあって、チリン/\の
間に「ひやっこい/\」という威勢の好いのです。砂糖のが文久一枚、白玉が二枚と価でした〟
〈文久一枚とは文久銭一文〉