◯『黄表紙刊行年表』〔国書DB〕
(天明五年刊・黄表紙の時評)
〝「噓つき曽我」下巻に娼家の厨房の状を図せし密画あり 此後豊国・国貞抔かゝる図を(ママに)巧を尽せ
共 清長 此頃既に先鞭を画きたり〟
間似合嘘言曾我 吉原の厨房(鳥居清長画 蓬莱山人帰橋作 天明五年刊)(国書データベース)
◯『増補和漢書画一覧』(聚文堂主人編 聚文堂版 文政二年刊)
(早稲田大学図書館・古典藉総合データベース)
(橘守国記事)
〝刻板ノ密画ニ妙ヲ得タリ。其刻本数種、盛ニ世ニ行ハル〟
◯「東都書林永寿堂新鐫目録」西村屋与八(永寿堂)板 文政十四年新春〔早大〕
(葛飾北斎記事)
〝『絵本庭訓往来』前北斎先生画 文蜘堂先生書 全一冊 自正月至四月 後編追々出版
凡此類ひの書多しといへども其画図の精密なるハあらず、故に本文の意と齟齬することおほかり、さ
れバ手本とするにたらず、却て児童をして誤らしむ、先生是を憂ひて其鳥獣虫魚衣服器物のたぐひ、
すべて童子の悟しがたきを一々に掲げ出し、例の画体をはなれ細画の新図に写されたり、誠に稀世の
画本といふべし、且本文ハ御家流文蜘堂先生の書なれバ、児童に与て其益多く、一帙机上にある時ハ
書画を学ぶの珍重此上なるべし〟〈『漢楚賽擬選軍談』三編上帙一目録〉
◯『無名翁随筆』〔燕石〕③310(池田義信(渓斎英泉)著・天保四年成立)
(橘守国記事)
〝狩野流の骨法を不失、刻板の画に妙を得たり、精密奇巧、此人より起る、刻する所数種、天保の今に
至る迄盛に世に行る〟
(岡田玉山記事)
〝近世板刻細密画の開祖たり〟
〈英泉は細密画の元祖を岡田玉山とす〉
(葛飾北斎記事)
〝板刻の密画に妙を得て、当世に独歩す、数万部の刊本枚挙すべからず、漫画と題して、画手
本を発市す、大に世に行る数篇を出せり〟
(柳川重信記事)
〝板刻の密画に妙手ナリ〟〈読本の口絵・挿絵を言う〉
◯『増補浮世絵類考』(ケンブリッジ本)(斎藤月岑編・天保十五年(1844)序)
(橘守国記事)
〝月岑按るに、享保時代刻板の密画は唐土訓蒙図彙に始れるなるべし。夫より以前、かゝる細密の板本を
見る事なし〟
〈『唐土訓蒙図彙』享保四年刊 中国の山水・人物(列仙・君子・聖賢・道釈)・花卉・禽鳥・家屋・調度品 什器のイラスト〉
(葛飾北斎記事)
〝板刻の密画に以て、世に独歩す。数百部の刻本枚挙すべからず〈文化の末より〉漫画と題するもの殊に
行れて数篇を出せり
読本目録
『阥阦妹背山』 六冊 振鷺亭作 密画殊に勝れたり
時代設定は南北朝時代(文化七年刊)口絵・挿絵
『勢多橋竜女本地』三冊 種彦作 辛未 殊に密画なり 朝倉伊八刀
〈読本の口絵・挿絵〉
☆ 嘉永五年(1852)
◯『椎の実筆』〔百花苑〕⑪396(蜂屋椎園著 嘉永五年記)
(高田敬甫記事)
〝墨の濃淡をもて密画をなすハ、其工夫ニ出たりとぞ〟
◯『浮世画人伝』(関根黙庵著・明治三十二年五月刊)
◇「歌川豊国系譜」p83
(三代豊国・国貞記事)
〝特(コト)に稗史の合巻ものに密画をものするに至りては、其技倆他に比ぶるものなく、一家独特の妙技な
りき。柳亭種彦が傑作、偐紫田舎源氏の挿画は、国貞が手に成りしものにて、実に稀世の艶筆なりとて、
世人の愛玩一方ならざりき〟〈合巻の口絵・挿絵〉