☆ 寛政五年(1793)
◯『花之笑七福参詣』黄表紙 重政画 京伝作 蔦屋板 寛政五年刊〔早大・古典籍総合データベース〕
(上巻末「丑春新觹 耕書堂蔵板目録」)
〝青楼由縁目付絵 全 袋入 折本
名ある遊君の名よせ いつれの茶屋に出てゐるといふことをあてるめづらしきあんじ方の目つけゑ也〟
〈画工は不明。吉原の評判高い遊女と茶屋とを組み合わせた折り本遊具のようだが、原物は未確認〉
☆ 文化七年(1810)
◯『目附絵』合巻 墨亭月麿画 硯亭墨山作 森治板 文化七年刊
目附絵 (国書データベース画像)
◯「川柳・雑俳上の浮世絵」(出典は本HP Top特集の「川柳・雑俳上の浮世絵」参照)
〝目付絵をねから遣手は飲み込まず〟「拾遺8-2」【川柳】
〈役者の紋をあてる遊戯だが、遊郭の遣手婆はとんと興味も示さず〉
◯『近世風俗史』(『守貞謾稿』)巻之二十八「遊戯」④290
(喜田川守貞著・天保八年(1837)~嘉永六年(1853)成立)
〝目附絵(メツケエ)
跋文のごとく、享保中の小賈を集めたり。十六人内、初めに目標(メジルシ)し、第二、第三に至り、あ
るひは右、あるひは左りを告ぐれば、心中の標ある者を中すの法あるなり。この弄(モテアソ)び、今も
往々これあれども、その制略すなり。
(この絵の板元・山本九左衛門の「目附絵見やうの事」(日付は享保十二年)という文あり。そこに
遊び方が示されている。略。また十六人の小商いを描いた模写図が掲載されている。その図に以下
の説明がある)
原本、五葉半なり。右図は、第一葉を模写す。毎葉図中、商人の次第を異にす。第五葉の傍に、画工
近藤助五良とあり。山本九左衛門は、江戸〟
◯『於路加於比』〔新燕石〕①319(柳亭種秀著・幕末成稿)
〝目附絵といふ物を未だ見得ず、物の本の中にも、未だ其さたをきかず、たゞ享保中の古版一冊を先つ
年購得て所蔵す。落丁のあり、表紙も破れ、外題剝落して書名知れがたけれど、幸ひに奧書全ければ、
先こゝに模出す(奥書と掲載図の模写あり)
目附絵見やうの事
此めやす、みやうは、十六ばんのうちにして、どれにでも、ひとつ目を付置、又つぎを見て、右か
左かといふ、右といわば数に入て、又つぎヲとふて、左といふ時、数にいれずして、おわりまで右
といふ時は、数にして、物数を入て、口の目やすの数を見て、是なりといふべし、其ため、右とい
ふ字の下に、一二日八十としる置也
享保十一年未正月吉日 はんもと 山本九左衛門
此所に模し出せるは、三丁目なるべし、初丁目やすのところ失たるはをし、
六丁の裏に、画工近藤助五郎清春とあり、此画工、当時の物の本の絵あまたかけり、さて、こゝに
集めたるは、当時江戸に流行れしおうらいあきんどにて、手遊売とこ多し、悉考証をそへまほしく
思ひ、座右の備忘記をくりかへすに、十に二ツ三ツは筆を下すべきもあれでお、つぎ/\考へ得て、
ひとつらに記さんとて略す
又二重の丸を画き、別に丸き紙を綴つけ、めくるやうにして、諸品を画きたる目附絵、昔もあり「新
撰何曾遊び」と云、享保十三年に京めと木屋勘兵衛の刊たるさうしに、替り目付紋とて出せり、図は
今のと替りなければうつさず、古くは目付字をいふものあり、「崑山集」第九、
雁
こなたかなた行や目付字天津雁
「毛吹草」五貫にも、いかにしたるものか、未見あたらず〟