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☆ めきち 目吉(人形師)浮世絵事典
 ◯『きゝのまに/\』〔未刊随筆〕⑥128(喜多村信節記・天明元年~嘉永六年記事)   (文政十三年・1830)   〝大森村に化物の細工を観せ物とする茶店出たり、近時両国元町回向院前に目吉といへる人形師有、化物    咄をなす林屋庄蔵が小道具を作れり、夫よりさまざまの細工して処々に見せ物とす、大森村なるも是が    細工と見ゆ、これより已前に宇祢次と云細工人有て、種々奇怪の物を造れり、木彫のみならず、絹或は    獣皮諸物を用ひて作る、一年葺屋町河岸に奇怪の物を数多みせ物に出せり、又其後浅草奥山に人魚の五    尺ばかりなるを出す、是等は獣皮魚皮をあはせて作れり、其頃玄冶店に丸屋九兵衛といふ道具中買する    者、彼ふき屋町にてみせ物としたる内の徳利子といへるをもて来て、余にみす、面部は薄き皮にて張り    て、内に牽糸を設て面皮延び縮みをなす、生るが如し、髪は獣毛をさながら用たれば細工の跡しれず、    俳優尾上松緑なども、これが細工を用ひけると也〟    ◯『春色恵の花』巻一・第一回(人情本・渓斎英泉画・為永春水作・天保七年(1836)序)   〝似顔人形茶番道具の細工名人と聞たる泉目吉が見世へたちより(云々)〟   (挿絵の店先の看板)   「新工風 化物蝋燭」「踊道具 御誂向怪談物品々 いづみや目吉」
   (泉目吉の店先)渓斎英泉画『春色恵の花』巻一・第一回(早稲田大学図書館・古典籍総合データベース)    ◯『きゝのまに/\』〔未刊随筆〕⑥136(喜多村信節記・天明元年~嘉永六年記事)   (天保九年・1838)   〝三月十七日より回向院ニて井頭弁天開帳、人形師泉目吉、変死人種々作りたる見せ物出〟    ◯「古今流行名人鏡」(雪仙堂 弘化三年(1846)秋刊)   (東京都立図書館デジタルアーカイブ 番付)   (東 四段目)   〝画工 中バシ 歌川広重  人形 アサクサ 化物目吉(ほか略)〟  ◯『わすれのこり』〔続燕石〕②119(四壁菴茂蔦著・安政元(1854)年?)   〝泉目吉    本所回向院前に住居して、人形師なり、此者、幽霊、生首等をつくるに妙を得たり。天保の初め、造る    ところの物を両国にて見せたり、其の品には、土左衛門、首縊り、獄門、女の首を其髪にて木の枝に結    ひ付け、血のしたゝりしさま、又、亡者を桶に収めたるに、蓋の破れて半あらはれたる、また人を裸に    し、木に結びつけ、数ヶ所に疵を付、咽のあたりに刀を突立てたるまゝ、惣身血に染みて眼を閉ぢず、    歯を切りたる形ちは、見る者をして、夏日も寒からしむ。婦人、小子は、半見ずして逃出るものおほし、    されども、こわいもの見たがる人情にて、却つて大あたりせし、此類ひのみせもの、外にも多く出来た    り〟    ◯『浪華百事談』〔新燕石〕②228(著者未詳・明治二十五~八年頃(1892-95)記)   〝江戸両国泉目吉のおばけ、是は泉目吉といふ人形師の細工の怪談人形にて、種々幽霊、或は変死人、は    りつけ等あり、其人形頗る妙作にて見物驚きたり、而して大入せり〟