Top浮世絵文献資料館浮世絵師総覧
 
☆ ますや 升屋 (料亭)浮世絵事典
 ◯『蛛の糸巻』〔燕石〕②287(山東京山著)   〝明和の頃、深川洲崎に、升屋祝阿弥と云し料理茶屋、亭主は剃髪にて、阿弥といふ名をつきしは、京都    丸山に傚ひたるなるべし、此者夫婦、人の機をみる才ありて、しかも好事なりしゆゑ、其住居、二間の    床、高麗べり、なげし作り入り側付を広坐敷とし、二の間、三の間小坐敷、園中の小亭、又は数寄屋、    毬場まであり、庭中は推てしるべし    雲州の御隠居南海殿、おなじく御当主の御次男雪川殿、しば/\こゝに遊び玉へり、此両殿は、其頃大    名の通人なり、雪川殿のかくし紋(図あり)此の如き、川といふ字の羽織、名あるたいこ持着せざるは    なし、升屋祝あみ、件のごとき大家ゆゑ、諸家の留守居、富商の振舞といふ事、皆升屋を定席とせり、    其の繁昌今比すべきなし    広坐敷に望陀覧の三字を鋳物になし、地は呂色、縁は蒔絵、四角に象眼のかなもの、大さ六尺ばかり、    裏書漢文にて、南海君の書、祝阿弥へ賜ふうゑよし、二百字ばかり記しあり、嗚呼盛唐の宮閣も亡る時    あり、此額、近頃質の流れを買しとて、ある人の家にてみしが、のちにきけば、今の白猿に与へけると    ぞ〟    〈この白猿は二代目。天保改革の時、奢侈禁止令に抵触したという咎で江戸払いに遇った七世市川団十郎である〉