◯「集古会」第五十七回 明治三十九年(1906)三月(『集古会誌』丙午巻三 明治39年5月刊)
〝村田幸吉(出品者)明和頃市村座狂言図 一枚
当時の印行にして幅二尺程 長五尺程の大さなり 俗に之を俎版と称し 浮世絵中の異品とす〟
〈竪150㎝・横60㎝。この大きさから推測すると、用途はポスターなどに限られるが〉
◯『浮世絵』第弐拾四(24)号(酒井庄吉編 浮世絵社 大正六年(1917)五月刊)
(国立国会図書館デジタルコレクション)
◇「俎版」の図解 兼子伴雨(18/24コマ)
〝「東栄戯台之図」(中略)明和年中劇場内外の見取り図で、好事者間では「俎版(まないたはん)」と称
へて居る、原図は幅二尺、長サ四尺余に印刷物で、墨一遍摺の物へ、漆画の如き丹、黄汁等で筆彩色が
加へてある(中略)明和元年甲申十一月、江戸日本橋は堺町中村座の光景である。
狂言は四番続きの「贇最馬内裡(あづまのはなさうまだいり)」で、中央の金冠百衣の公家は市川団十郎
の平将門(以下、他の役者と役柄名続く 省略)顔見世月だけに吉例の暫くを綟(もぢ)つて書替へたも
のと思はれる(後略)〟
〈大判(横60㎝・竪120㎝)の墨摺に手彩色。外題は「吾妻花相馬内裡」の表記が一般的。破風造りの舞台および花道上
に役者、満員の客席、劇場入り口正面に中村座の定紋と絵看板、「寿大おどり」「酒てんどうじ」の文字も見える〉